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2006年09月06日

ミュンヘンへ

快晴 / 外気温24度(9時50分)
7時半起床。トスカーナは今日も快晴の模様。起床後、最後の水浴をする。これが最後かと思うとやはりちょっと寂しい。おそらく、ここに来ることはもう再びないだろう。

朝食の前に、昨日まとめて置いた荷物を車に積み込む。トランクルームはけっこう一杯になって後部座席も使うようになった。ワイン2ケース (12本) と、オリーブ・オイル1ケース、それに、カローラのための小瓶の水を買ったのでそのせいであろう。各部屋に掃除機をかけて出来るだけ元の状態に戻す。それからここでの最後の朝食。予定では朝食のあと戸締まりをして出掛けられるはずだったが、ブリギッテがバスタオルなどをきちんと洗って、乾かしてから出発したいということで1時間ほど出発が遅れる。まあ、急ぐ旅ではないし、ミュンヘンのわが家に到着するのは何時になっても構わないので、彼女の気の済むようにすればいいと思う。

わたしもマックの電源を切らずにスリープのまま車に積み込んだのを思いだし、待っている時間をもう一度マックに向かっている。もう一度、庭からの遠景を写真に撮ったりして名残を惜しむ。結局、出発したのは11時少し前になった。ミュンヘンに買って帰りたいものもあるということで、Montevarchi のスーパーマーケット Ipercoop にもう一度立ち寄ってからアウトバーンに乗ることにする。 Montevarchi に入ってから少し道に迷ったりして思いがけず時間を取られてしまった。

ようやく高速道路に乗って快調に走り出したが、ボローニャ (Bologna) の分岐点で間違いを犯す。ミラノ方面に進めばよいものをうっかりとパドヴァ (Padova) 方向に乗ってしまった。すぐに気がついて次の出口を出てからも引き返そうと思っていたら、なんたる不運、事故のための渋滞に巻き込まれてしまい1時間近く立ち往生。事故自体は大したことはなかったようだが、そこを通り過ぎる車がいちいち覗くように見ていくからそのための渋滞である。やっとのことで抜け出して一路ミュンヘンへ。そのあとはこれと言った問題も無くブレンナー峠を越える。こうして走ってみるとトスカーナというのはドイツからはかなり遠いなぁと思う。

オーストリアに入ってから一度給油を兼ねた休憩を取る。ここでまたヒヤッとすることが発生。わたしがセルフサービスでガソリンを入れている間にブリギッテはガソリンスタンドの中に入っていって給油が終わったらすぐ支払えるようにしていた。で、わたしが給油を初めてすぐに若い女性が地図を持ってわたしに「ドイツ語は話せますか?」と話しかけてきた。イヤ、と首を振ると次に「じゃ、英語は話せますか」と訊いてくる。この時にわたしはすかさず自動車の扉をロックした。すると彼女はスッと去っていく。

実は、この手法で、数年前にわれわれ家族はイタリアのトレント近くのガソリンスタンドで手痛い目にあっている。地図を持って道を聞いている間にわたしの神経をそらしておいて、相棒がわたしの死角になった車のドアを開けてハンドバックや現金などの入っていそうな鞄を持ち去っていくのだ。その件がトラウマになっていて、わたしはそれ以来イタリアに入ることはなかった。ブレンナー峠を越え、今回は無事だったかとホット安心した隙をつかれた格好で、しばらく時間がたってから背筋が寒くなった。

ブリギッテがガソリンスタンドで紙コップ入りのコーヒーを買ってきてくれたので、それを飲みながら一部始終を話すと彼女もビックリ。先回の時にはユーゴスラビア系の中年の女性だったのだが今回は若い女性で、相棒の姿にもわたしは気がつかなかった。しかし、どう考えてもおかしい。4列ほど並んでいた一番端のセルフサービスで給油していた、わたしの所へ近づいたのもわけありそうだし、一見してアジア人だとわかるわたしに「ドイツ語は、英語は、話せるか」と地図を片手に聞きに来るのも不自然である。

ブリギッテは「もしかすると、お金目的のセックスを誘う手口だったのでは?」と分析しだした。「引っ掛かりそうな男に目を付けて、ガソリンスタンドから離れた場所に止めてある車まで誘うのかも」というわけである。わたしはそんなに人の良さそうな(間抜けな)助平顔をしているのであろうかと、ガックリと来てしまう。(汗)

そんなことがあって、わが家に到着したのは22時近く。ユリアが鶏肉の料理を作って待っていてくれた。アンナも食事に参加して久し振りで話が弾む。食事のあと、わたしはさすがに目眩のするほどの疲れを感じて就寝。今回の走行距離は往復 2170Km を示している。