久方ぶりに丁寧に作られた本を手にした。控えめでありながらどこか訴えるところがあるデザインの、しっかりとした箱に入れられた、布張りの本。ここ数年、読むのはほとんどが文庫本で、たまに手にする単行本もこれほど拘ったものにあたらなかったから新鮮だった。それにしても標題の「あやのつづみ」という音の響きがすてきだ。読む前から期待感が募ろうというものである。
この作家のものは、もうずいぶん前になるが、姉が送ってきてくれた「時雨の記」を読んだ記憶がある。最初の書き出しから数行読んだだけで、この作家の不思議な力に吸い寄せられた。まず、本の内容とは関係がないのだが、旧仮名遣い、旧漢字が多用されていて最初はどぎまぎしてしまう。だが読み進むうちに、それをとても味わい深く感じるようになり、そうそう、こうでなくっちゃ、と思っている自分がいた。それとこの作家の句読点の使い方は不思議なものである。意識して書いているのは勿論だが、それがこの本全体に、ある種の光りと陰をもたらしているのは確かだと思う。最近、あまり出会ったことのない文体だったので、戸惑うと共に新鮮だった。一行の文章の受け取り方を読み手に選択させているようにも感じる。
話の内容というのは、一口にいってしまえば、男と女の愛を貫いた男女がイスパニア(スペイン)の土になるまでを描いたもの。スペイン内乱、世界大戦などを背景において、数人の興味深く親しみやすい人物を脇役に配した、しっかりとして揺るぎのない構成。やはり主役二人、大河原玄一郎と宇女の人物像が、しっとりとした中に凛とした静けさを感じさせるように描写されていて最後までわたしをしっかりとつかみ続けた。わたし自身も、日本を飛び出してドイツに居着いてしまった男だから、大河原の父の息子を思う心境を描いた部分には、些か罪悪感にも似たものを感じてしまった。しかし自分が親になってみると、その辺の心遣いもわかるような気がするのである。親というのは子供のためには何もしてあげることは出来ない、ただ祈るだけ。
読み終わったのは今日の午前一時頃。早く眠らなくてはと思いながら、残り数ページになったこの本を途中で閉じることができなかった。最後のページを読み終わって枕元の電灯を消したあとも、「重いなあ」という感慨が頭の中を支配してしばらく寝付けなかった。しばらくぶりにずっしりとした余韻を感じる。