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2006年11月29日

冬の炎 上・下 / 高橋 治著(集英社文庫)(追記ありますー2007年2月7日)

image この本は数年前に姉が送ってくれた「風の盆恋歌」の著者によるもので、それなりの期待を持って手に取った。読み始めたのは夏休みが終わってすぐだから9月半ば頃。しかし上巻の途中まで読んで閉じてしまった。

image 11月も半ばを過ぎる頃に、机の隅に投げ出されていたこの本を再び読み始めた。特に読みたいと思ったわけではなく、なんとなく途中で投げ出してしまったことを少し恥じていたのである。だが再開して数頁読んだら、途端にこの本に引き込まれてしまった。上・下巻を読了した今は、誰にでも読むことを勧めたいと思う。これは素敵な恋物語である。

上巻の途中でいちど投げ出してしまったというのには、わたしなりの理由があった。この小説の舞台は70年代の戦時中ベトナム、パリ、日本と変化し、そのたびに主人公・桂木が恋した女性たちとの描写がある。話の途中ですっと舞台が跳ぶのだが、一端場面が変わるとそれが延々と続いて、話が跳んだ以前の記憶が薄れてしまうのだ。わたしはこれについていけなくて疲れてしまったようだ。

読むのを再開してからはそうは感じなかったから、読み始めた時のわたしの精神状態が違っていたのだろう。桂木の年齢が58歳という設定だったから、小説の中での彼の考え方、会話のスタイルがとっても身近に感じることが出来た。小説のあらすじはここでは書かないけれど裏表紙に書かれているように「大人の愛を描いた、大人のための長編傑作」と述べておく。

この本にはわたしをなるほどと頷かせたり、「痛いなぁ」と感じさせる文章が多く出てくる。その全部を書くわけにはいかないけれどたとえば次のようなもの。

「シャンソンは耳で聞く。それは当たり前だが、回転の早い頭で聞くものだよ。でも、ジャズは皮膚で聞く。歌詞なんてものはどうでもいい、アイ ラブ ユー の繰り返しがありゃ、僕はなんにも要らないんだ。」そういったフランス人の友達がいたが、ジャズの一面を確かにいいあてている。つまり、わかっているのだ。

「冬の炎」上巻326頁 から引用

だが、桂木の母国である日本では、野心を捨てることは可能でも、努力や勤勉と無縁に生きるには、途方もない勇気が要る。人はしばしばその宿命に押し拉がれ、美徳とされるものを持ち続けるために、人間の個性や本然の価値観まで欣然と手放してしまう

「冬の炎」下巻174頁 から引用

「なあ、坊や、間違っても馬肉にはなるなよ」
桂木は佐伯のいう意味がわからなかった。
「は?」
桂木は聞き返した。
「競馬を知ってるかい」
「いくらかは」
「坊や、なかなかピアニストとしていい脚をしてる。田圃耕す馬や、荷車曳く馬にまじれば、坊やの脚色(あしいろ)は抜群だ。この俺が保証する。でも、間違っても、天皇賞だのダービーだのに出ようと思うなよ。」
強烈な言葉に桂木は二の句がつげなかった。
「あんなレースに出てくる馬は、元々出来が違うんだ。つまんない野望を持ったりすると、行きつく先は、種馬にもなれずに、馬肉だ」
答えようがなかった。

「冬の炎」下巻347頁 から引用

歌うことを職業としてきたわたしには、この部分は痛い。「天皇賞だのダービーだの」ってのは「ヨーロッパの一流歌劇場の」と言い換えることも出来るだろう。わたしもそこで主役を歌いたいという野望を持ったことは事実だったのだ。また、数年あとに曲がりなりにも同じ舞台に立ってみて「あんなレースに出てくる馬は、元々出来が違うんだ。」ということを思い知らされたのもそのとおりである。

引用したい部分はもっとあるのだけれど、あまり長くなるからこのへんで止めておく。もしこの本を手に取る機会があれば、下巻の418頁で書かれている画家の才能に関する記述も読んで欲しい。音楽と絵画との違いはあるけれど、わたしにはこれも痛かった。
(2006年11月26日読了)

追記
デスクトップの整理をしていて、次の文章を見つけた。余りくどくなるからと思ってアップしなかったと記憶している。しかし、このまま捨ててしまうのも残念なので[追記]として残しておく。自分のためのメモ帳である。(2007年2月7日)

[ 追記・1]

「でも競馬と同じよ。先行力のある実力馬が逃げの作戦に出た時に、それを追いかける方の馬は、爆発的な追い込みの足を持っていない限り、追走するだけで、なし崩し的に自分の能力を使ってしまうのね」
電話で話したとおり、時々競馬新聞を買って馬への賭を楽しむという女ならではのたとえだった。

中略

つまり、自分の世界を発見し得るかどうかの戦いなのだ。そして、発見し得たものだけが美術史の中に名を留める。

「残酷な世界だと思うわ。だって、そうでしょう。昨日まで一緒の地点に立っていた人が今日は自分より一歩先に出ている。二日たち三日たち、一週間、一ヶ月、時間が経過するにつれてその距離はどんどん開いていく。自分には背中しか見えない。そんなことって恐ろしいと思うわ。どこかで自分が持っているものに対して、冷静極まる判断を下さなければいけないんですから。しかも、集団生活の中でしょう。誰もが誰もを知っている。同じものを食べて同じ葡萄酒を飲んで、同じ時間に寝て。そんな毎日を繰り返しながら、次第に距離が開いていく……そんな苦しさなんて、想像もできないわ」桂木は頷いた。
「それは音楽の世界でも同じことでしょう」

「そういうわね。ある日気がついたら、気軽に声を掛け合っていた友達が、自分にはとうてい手の届かない場所に立っている。あの優しい絵を残した伯父には、耐えられなかったに違いないわ。同じ国から来た人達だけに、なおのことそれはこたえるわね」

[追記・2]

昨日の「乱読、手当たり次第」のエントリの中で「あんなレースに出てくる馬は、元々出来が違うんだ。」ということを書いたがそれに関した強烈な思い出である。

多分1979年頃のこと。そのころNationaltheaterでは「薔薇の騎士」がよく取り上げられていた。当時わたしは研究生という身分だったのだが、あるとき、ファーニナル家の家令 (Der Haushofmeister bei Faninal ) の役を勉強しておくようにと言われた。もちろんコレペティがついて彼が手取り足取り教えてくれたのだがその理由をハッキリと把握していたわけではなかった。(なんという脳天気!)

その当時この役はテノールの Friedrich Lenz という Kammersänger(宮廷歌手)の持ち役であったが、ある期間、彼が練習に出ることが不可能だったので、わたしがその穴を埋めることになったというわけである。練習を重ねて、まあ大丈夫だろうと思う頃になったある日、明日の舞台稽古に出るようにという通知。

翌日 Nationaltheaterの舞台に行ってみたら、舞台は第二幕の水色を基調としたきらびやかな広間の場面が本番通りに作ってある。ふと周りを見回してみると錚々たるメンバーが歌っていて、それを見ただけでもう、ドキドキ、ガクガクの状態でとっても場違いのところに紛れ込んだ気持である。そのうちにわたしの歌う場面がやってきた。歌い出したのはいいが緊張のあまりフッと歌詞に詰まるところがあって、もう冷や冷やもの。

そんな時に助け船を出してプロンプターの役をやってくれたのが側に立っていたゾフィー役のルチア・ポップ (Lucia Popp) 。驚いたことに、この人はこのオペラでの自分の役は勿論のことそれに絡んでくる他の役の歌詞までもピシッと暗譜しているのだった。

さらに驚いたことはそこに立って歌っていたほかの歌手たちも彼女とほとんど同じだったことである。自分が歌う役の一部分をおぼえるのでさえ必死で勉強してなんとか出来るようになったわたしにとっては、いや、驚いたのなんの。それは凄いショックでもあった。

その時に感じたことが「この人たちは元々出来が違うのではないか?」ということだった。その時の練習を指揮していたのは黒いTーシャツを着たカルロス・クライバー