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2007年10月05日

追記:若桑みどり先生

若桑先生に関する思い出の数々はこれまでも書いているような気がしますが思い出せることだけでも書いておきます。

・イタリア語の先生としての思い出
まずイタリア語の授業です。その当時声楽科の学生はドイツ語、イタリア語、フランス語の中から(ロシア語もあったかもしれない)二つを選んで一つは基礎コースまで、もう一つは上級コースまで進むことを義務づけられていました。わたしはまさか後半生をドイツで生活するようになるなんて考えてもいませんでしたし、声種がテノールということもあって、イタリアへの憧れからイタリア語を上級まで取りました。

授業は楽しかったのですが、若桑先生のあのバイタリティですから、ついていくのは結構大変でした。それでもなんとか習得したかったので授業の時にはいつも先生の真ん前の机に座り、わかってもわからなくても絶妙のタイミングで頷いたりして、真面目(そうに)に励んだつもりです。

わたしの隣にはイタリア語が良くできる女子学生に座ってもらって、試験の時などには彼女にずいぶんお世話になったのはもう時効でしょう。彼女に「俺が鉛筆で机を軽く叩いたら君の答案用紙を5cmほど俺のほうにずらせ!」と頼んでおくと彼女はいつもそのとおりにしてくれたのです。(汗) ですから試験の点数はいつも良いものでありました。そのせいか若桑先生はわたしがイタリア語を良くできると思い込んでしまったらしい。構内で行き会うと大きく元気な声で "Buon Giorno, Signor .......!" とイタリア語で挨拶されるので、麻雀仲間の悪友達には「オイ、オイ、お前、どうしたんだ!」なんてからかわれていました。

・美術史の先生としての思い出
美術史の授業は午後の2時か3時頃に階段教室で行われていたのですが、授業の性格上スライドを見せられることが多かったのです。冷房なんてものは無かったですから、夏の午後に、暗く、人いきれのする暑い教室に座っているとどうしても眠くなってきます。不注意にもわたしは映写機の投射角の横に座ってしまったことがあって、コックリ、コックリやっていたわたしの頭の影がときおりスクリーンを邪魔して皆の失笑を買ったことがありました。(汗)

夏休みに入る前にイタリア・ルネッサンスをテーマにレポートを書いて提出することになりました。しかし、わたしはその頃、麻雀に狂っていてまったくそれを書く気力を失っていました。そこで現役で入学してきた若い級友(わたしとは6歳の年齢差がありました)を捕まえて「お前、適当に書いて俺の名前で出しといてくれ」と頼んだら「はい、わかりました。でも自分のレポートもありますので先輩のは美術書からところどころ引用して適当に書いておきますね。」「ああ、それでいいよ」

結果は「良」(その頃は優、良、可、不可)ということで、単位が取れただけでもめっけものでした。長い夏休みが終わって、その級友とまた学内で顔を合わせた時に、彼が「美術史の点数はどうでしたか?」と訊くので「ああ、ありがとう。おかげさまで”良”だったよ」といったら彼は急に怒り出したのです。「そんな馬鹿な!わたしは一生懸命に自分で考えて自分の文章で書いたのに ”可”でしたよ。適当に引用してでっち上げたものが”良”だなんて〜」まあ、彼の怒るのも無理はない。「お前、それは先生に対する日頃のウケだからしょうがないよ」なんてわけの分からないことをいって彼を慰めました。彼は今、某国立大学の音楽部教授です。

・素顔の先生の思い出
最後は、ジュゼッペ・ディ・ステファノがマリア・カラスと来日して演奏会を開いた年のこと。公演の合間を縫って、ステファノ氏がある日東京芸大に来て公開レッスンをしてくれたのです。その頃わたしは大学院の独唱科に在籍していたので、お前、なんか歌え、ということになり「リゴレット」の中から2幕の最初のアリア "Ella mi fu rapita!" を歌ったのです。この役はステファノの当たり役の一つというのが選んだ理由でした。わたしが歌ったあと彼がいろいろとアドヴァイスしてくれたわけですが、彼がわたしに言ってくれた「君の声はまだ非常に小さい」という言葉は印象的でした。

公開レッスンが終わったあと、会場の入り口のところで若桑先生にバッタリ。先生も聴いていてくれたらしい。そしてなにやらプンプン怒っている。今日、イタリア語を通訳した声楽科の先生は駄目ね! 君だって(君の語学力からすれば)ステファノ氏の言ったことを理解できていたでしょうけれどステファノ氏がとっても良いことを言っていたし、君のことだってたくさん褒めていたのよ。それをちゃんと通訳してなかったわ(済みません、理解できていませんでした。(汗))ということだった。いい加減な仕事に我慢できないで真面目に怒る先生の面目躍如の一面であった。