SONY の崩壊による日本人の喪失感・・・小田島隆氏(2012年4月11日)

TBS ラジオのポッドキャスト「たまむすび」を聴いていた時にこんな話題があった。コラムニストの小田島隆氏が話していた内容は次のようなもの。

________________________________________________________________________彼がテクニカルライターを職業としていた当時から他社と異なって SONYの技術者は記者会見の時などには目線の高さがあった。圧倒的に高飛車だったけれど毅然としていてそれはそれで嫌な感じではなかった。しかしそれは高い技術力に裏付けられた製品の品質の高さで納得のいくものだった。

2000年代に入ってからはヒット商品がない。コンテンツ産業に手を出した結果、ものを作る社員よりもマネージメントを司る社員の方の力が強くなってしまったこともその要因である。
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ここからはわたしの感想である。
もう10年以上も前にSONYに陰りが見え始めたときにも「なぜ?」という話題が出たことがあった。そのときの記憶ではアメリカでの話であるがSONY販売店のサービスの低下と販売員の質の低下がとり上げられていた。例えば注文した製品がなかなか届かなかったり、故障のクレームを受けても高飛車な態度でユーザの使い方が悪いといわんばかりの対応もかなりあったらしい。この頃からSONYの陰りが始まったのだ。

これらはお客に接する末端の人たちが明らかにSONYというブランド力の間違った使い方をした典型である。すぐれた製品を作り上げた技術者だけに許される誇りをお客と接する販売店、販売員が自分の手柄だと勘違いしたからに他ならない。

この姿は振り返ってみると古代ローマ帝国以来のさまざまな国の栄枯盛衰と実によく似ている。SONYは滅びるべくして滅びるのだろう。わたしも学生時代から SONYの製品は大好きでそのユーザであることは誇りでもあった。そしてわたしが今大好きなのはアップルの製品群。だがアップルもいつかは SONYと同じ道を辿るような気がしてならない。

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