ウルリケ・へスラー (Ulrike Hessler) さんの葬儀

水曜日・晴れ / 最高気温22度

8時半起床。6時前に一度目が覚めてから二度寝。次に目が覚めたのは8時半近く。今日は11時からある Trauerfeier (葬儀) に参列することにしていたのでちょっと慌ただしい朝だった。

亡くなったのは長年 Bayerische Staatsoper で広報・マーケティングを担当し、2年ほど前から Semperoper / Dresden のインテンダントに就任していた ウルリケ・へスラーさん 。脳腫瘍のために57歳というキャリアのまっただ中での死亡だった。

彼女とわたしの付き合いは仕事の上だけではなく、ブリギッテのおばさんを通じての個人的なものだったのでわたしもブリギッテも彼女の死はとてもショックだった。

葬儀が行われた教会は St.Markus で、カール・リヒターが彼の本拠地としていたところ。ウルリケ・へスラーさんも子供の頃にはこの教会で行われた Kindergottesdienst (子供たちのためのミサ) に喜んで出掛けていたという。ちなみに、いまは引退したがその頃この教会の主牧師はブリギッテの親類のおじさん (Dr.Theodor Glaser) だった。

参列者はほぼ500人以上で広い教会の内部は満員。勿論かつての上司であった Sir Peter Jonnas 氏、Semperoper における現在のパートナーである Christian Thilemann 氏らの顔も見られた。親族に支えられて入場したウルリケ・へスラーさんのお父さんの悲しみにうちひしがれた様子が痛々しかった。ミサを取り仕切った女性牧師の話では彼の奥さんが亡くなった次の日にウルリケ・へスラーさんの手術があったらしい。彼の心痛もいかばかりだったかは想像に難くない。

葬儀の後、ウルリケ・へスラーさんのご主人の他、顔見知りの人たちに挨拶をしたあと教会を後にした。

こんなに悲しい思いをした後なのに、時刻はお昼過ぎとあってお腹が空いてくる。U-Bahn の駅に向かう途中にあった日本料理店「天満屋」で昼食の弁当を食べた。頼んだのは「鮭の照り焼き弁当」だったが13 € という値段と味との兼ね合いは良心的だと言える。

帰宅したらいつもと違う種類の疲れに襲われてベッドに潜り込んだ。単に身体の疲れではなく、精神的に下向きになった疲労というのは快復が遅いように感じる。だからというわけではないが少し長く眠りすぎた。そのうちにブリギッテが水泳から帰宅。上の階に住む奥さんに誘われて行ってきたらしい。