音と臭い

ふとした臭いに出会ったとき、それを基点として一瞬にして何十年も前の風景が蘇ることは良く聞く話。しかし、それが音にもあるということを数日前に経験した。

You Tube で、ある日本映画を観ていたときに登場人物がアルミサッシの窓を開ける場面があった。アルミサッシの窓についているベアリング特有の「カラカラ」という音を聞いたとき、わたしの脳裏に鮮やかに浮かび上がった景色があった。

それはまだ芸大に入学する前の浪人中だったか、すでに芸大で学んでいた頃だったかは定かで無いが、その頃に住んでいた西武新宿線・小平駅から10分ほど歩いたところにある8畳一間のアパートから眺めた光景だった。

夏のまだ充分に暑い夕方にそのアパートに帰ってきてアルミサッシの窓を開け、留守中に溜まっていた部屋の熱気を逃がしたときの光景である。

その当時その辺はまだ畑が点々と存在していた地域で、どこかもの悲しい、そして乾いた風景だった。自分の将来が霧に閉ざされたように不透明で確たる希望も持てない、そんな時代だったことを思い出した。

アルミサッシの「カラカラ」という音はわたしにとって青春が持つ不安と、もの悲しさを感じさせる音なのである。

8 thoughts on “音と臭い

  1. [
    「音・・・」記憶のどこかに潜んでいて、フッと想いだすこと、ありますね。香りとか色とか「以前どこかで感じたこと・・・」をよみがえる時、きっと自分の大切なとっておきの記憶なのでしょうね。時々聴くラジオ番組「音の風景」はイメージして聴きます。静かなナレーターの言葉が心に響きます。

    • 今はきっと家がビッシリと建ち並んでいるのだと思います。
      日本に帰る度に1度あの辺を歩いてみようかなと思うのですが、やはり思い出は思い出としてそっとしておくのが良いのでしょう。

  2. 私も、学生時代の、アパートが京都の強い西日をうけて、暑かった
    ことを思い出しました。

  3. 味や香りに触発されて過去の情景が「そうだ!」と思わず鮮やかに立ち上がるという経験は私も何度もしていますが(特定のコーヒーとか船舶用機械オイルとか)、音が記憶換気装置になるというのは珍しいけど、素敵だしありそうな気もして思い返してみましたが、一例も思いつきませんでした。

    夢の中で母親の呼び声で昔の実家の庭に引き戻された経験はありますが、これは意味合いが全然違いますね。

    音が習慣化して脳裏に刻まれ、かつ心象風景に結び付いているという補完条件が必要なのかも知れません。

    • わたしもそんな経験は今回が初めてのような気がしています。人間の脳に刻まれた記憶というのは不可解ですね。

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