山学校

昨日は体調が良くなく目まいがしたので英語コースをサボろうかなという気が働いた。(^_^;) そのあとで夕食を街中でとる約束があったので結局出掛けたが終わってみればサボらなくて良かった。今日になってそんなことを考えていたらふと幼年時代の「山学校」という言葉を思い出した。

わたしは小学校の頃からとにかく真面目に学校に通う子供だった。あの頃は休まずに登校してきた生徒には「精勤賞」という賞状が与えられたが、小学校、中学校を通してわたしは何度もそれを貰った記憶がある。

しかし真面目に学校に通うのとよく勉強するというのは別物である。わたしは自分でも否定できない薄ボンヤリとした子供だったし下校したらランドセルを家の中に放り込んですぐに遊びに出てしまうような少年だった。まあ、周りを見ても宿題を済ませてから遊ぶなんて殊勝な子供はいなかった。

弁当箱を紛失してしまったと言って小学3年生の頃までに新しい弁当箱を2つ買って貰ったのはその頃のこと。のんびりしていた時代とは言っても、3年間に2つというのはちょっと多い。(笑) これがよくよく調べてみたら空の弁当箱はランドセルの中に見つかった。親は「空の弁当箱を担いで毎日学校に行っていたなんて、なんてボンヤリしている子なんだろう」と叱られた記憶があるが、今になってみれば親もわたしのランドセル内を点検しなかったというわけでどちらもどちらである。(笑)

で、「山学校」という言葉だが、これは学校に行くのをサボって近所の山で遊ぶことを当時の子供達はそう呼んだ。クラスの中でときどきこれをやる生徒がいて(男生徒だけだが)、そいつらが休むと「あいつら、また山学校に行ったな」と級友達と噂していた。

山学校をちょくちょくやる生徒は当然学校の授業についていけなくなることが多い。そしてまた山学校へという悪循環だった。わたしは「あいつらはバカなんだ」と子供心にも見下していたのだが、あるときその生徒達がときどき他の生徒達が弁当を開いている時間に校庭に出て遊んでいるのに気がついた。

彼達は弁当を持って来られないことを恥じていたのだ。昭和29年から30年代になろうとしていた頃には子供に弁当を持たせられない貧しい家庭がまだあったのである。絶対にお腹が空いてたまらなかったろうし、まわりの生徒達が弁当を使っている中にだまって座っているのは耐えられなかっただろう。

彼達が毎日弁当を持ってくることが出来ていたら、その結果学校の授業にもついていけて「山学校」に行くこともなかったろうに。そんなあの頃を思うともの悲しくなる。

山学校」への4件のフィードバック

  1. 懐かしいですね。山学校は聞いた事があります。海の近くだったので海学校と言われてましたがすぐ近くに里山があったので山学校へ行ったのも居たような良い時代でした(^`^…。私は放課後の山学校でチャンバラしてました。

    • 海学校というのもあったんですか、面白いですね。
      チャンバラは天気さえ良ければ毎日やってましたね。
      山に入って刀に出来るようなまっすぐな枝を探すのが楽しみでした。

  2. よく書いてくれました。忘れてしまったこと、悲しかったけれどお弁当が食べられない現実の厳しさを子どもが耐えていた時代があったこと、忘れていたのではなく、今になって気がついて・・・なんとも言えない気持ち・・・になりました。でも、忘れたり、なかったことにしてはいけないですね。思いだしたとき、思い当ったとき書いてください。おベント箱2個も・・・その時「無い・無い」とさがしたり、子ども心に少しは悩んだのかなぁ・・と思うとなんだかジワァ~ときました。子どもでも、大人にボンヤリと思われても 健気なんだ!

    • リタイアしてから間もなく2年になろうとしていて、最近は良く昔のことが頭に浮かんできます。山学校もそのひとつでした。(^_^)
      こういうことは思い出したときに書き留めておこうと思います。

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