義母の誕生日

10月8日(水)・晴れ/最高気温20度

7時半起床。朝起きてまだ別の部屋に義父の遺体が横たわっているのはなんとも落ち着かないものだ。日本の気候だったらそろそろ異臭が感じられる頃かもしれない。死後30時間以上過ぎているわけだから。

朝食のあとブリギッテはこの地区のプロテスタントの神父に電話をし、葬式を取り仕切ってもらうことをお願いする。日取りを決めたり何かと手間の掛かることでけっこうな長電話となった。

10時過ぎに義母、義弟夫妻、義妹の4人が来訪。午後に義父の遺体を葬儀屋に引き渡すので運び出される前にもう一度顔を見ておくため。その前に11時に葬儀屋が来て事務的な話し合いが始まる。墓地はどこで、葬儀はどこで執り行うか、献花、死亡通知、音楽、などの打ち合わせ。

ドイツでも葬儀屋に丸投げするとかなりの出費になるので、自分たちで出来ることは葬儀屋任せにしなかった。葬儀屋は思うとおりに稼げなくてきっと内心ガッカリしていることだろうと思いながら、ブリギッテがテキパキと打ち合わせをしているそばで静観していた。

家庭医が書いてくれた死亡届けに重大な間違い(生年月日)があってわたしが家庭医まで走るという1幕もあった。

そのあと食事となる。義妹が既に義母宅で料理しておいたものを持って来てそれは始まった。今日はなんと義母の84歳の誕生日なのである。

しかし、わが家の別室に自分の夫の遺体が横たわっているのに、自分の誕生日を祝えるという神経がわたしには不可解である。ドイツ人にとって誕生日というのはそんなに大切なものなのだろうか? 

ブリギッテにわたしの考えを言うと母自身から「今年は止めておく」とか「日を改めて」とかの申し出が無い限り自分からは言えないと言う。わたしはそのへんがとても腹立たしい。「あなたの夫の最後を看取って一日しか経ってないわたしたちに、今度は自分の誕生日を祝って欲しいってか?」と怒りをぶつけたい気持ちだった。どう考えてもわたしには納得出来ない。

死ぬときは妻のそばではなくブリギッテの介護で死にたいと言っていた義父の気持ちが納得できたような気がする。夫婦であり続けるというのは難しい。

棺を持って遺体を引き取りに来たのは2人の屈強な男性。ちょうどスープを食べ終わったあとだったので食事はもちろん中断。

彼達の1人は死ぬ間際に自然に外れてしまった上顎の入れ歯を元通りにはめ直してくれて、遺体にこちらで用意した衣類を着せ、髪を梳かして棺に入れてくれた。当然のことではあるが実に礼儀正しく親切に扱ってくれる。数年前に見た映画「おくりびと」を思い出した。

さすがにこのあとでは全員食欲を無くしたのか残りの食事は夕食にという事になった。(エッ、今日は結局夜までブリギッテの家族と付き合うことになるの?)

そうは言いながら用意して来たアップルケーキとバウムクーヘンで午後のお茶となる。グッタリ疲れたわたしはそのあと下の部屋で40分のタイマーをセットして昼寝。

目を覚ますと次女が来ていた。彼女が来るといつも場の雰囲気が明るくなるのが精神的に救われる。

夕食は昼に食べなかった料理を食べる。今度は次女を加えて7人。わたしはあまり食欲は無し。食べ終わったあとで新聞に出す死亡広告と手紙で出す死亡通知の文章、レイアウトを義父の3人の子供達が協議。これがなかなか決まらない。しかしわたしの口出すところではないので静観。

皆が帰ったのは22時少し前。まだ後始末が残っているがこれで一段落ついた感じがする。ブリギッテはちょうど今日で3週間の休暇が終わり、明日から通常勤務に戻る。彼女は本当に良くやったのでもう少し休ませてあげたい。しかしそうもいかないのが現実だ。

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