ミュンヘンに戻る

1月31日(日)・雨のちみぞれ/最高気温3度

8時起床。昨夜はかなりビールを飲んでいたので寝起きが悪いかなと思っていたがごく普通の状態。ダンスもけっこう楽しんだのでアルコール分はけっこう抜けていたのかもしれない。朝食にはユリアとフローリアンも来てくれて4人でとった。

11時にホテルをチェックアウト。フロントでこれから夏までは忙しくなるねと係員に話しかけたら「実は今日がインターネットでのチケット発売日なんです。」と言っていた。

アウトバーン上で雨模様になったので無理をせずに途中でまたブリギッテに運転を代わって貰う。わたしが眠っている間に車はミュンヘン市内に入っていて少し驚いた。帰宅は午後2時頃。カバンを片づけたり洗面道具を元に戻したりしたあと1時間の昼寝。

夕食はブリギッテが作った。貝柱とマッシュルームを焼いて上からチーズをかけ、グラタンのようにしたもの。貝柱から出る旨味成分がおいしい。野菜は先日のブロッコリーの残り。やはり家でゆったりと食べるのが一番好きだ。今夜はまたアルコール抜き。

バイロイトへ

1月30日(土)・曇りのち雨/最高気温10度

7時起床。今日はフローリアンのお父さんの誕生日を祝うためにバイロイトへ。彼の誕生日は明日・31日。今夜の8時から宴会を始めて午前0時のカウントダウンで誕生日を迎えようという趣旨だ。あまり気が進まないのだがこれも付き合いということである。

朝食のあと一晩泊りの荷物を作って出発。午前中はどうもわたしの体調が悪くて運転していても頭がボヤーッとしてくる感じ。70Kmほど走ってブリギッテに運転を代わってもらった。

少し早く家を出すぎたので途中で時間を潰そうと Ingolstadt の手前10Km の Manching にある小さな博物館を見学していくことにする。ここで発掘されたケルト人の遺跡から出てきたものを展示してある。たいした資料ではないのかもしれないが、日本で言えば縄文式・弥生式時代を考えると理解しやすい。

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そこを見終わった後もブリギッテに運転してもらいバイロイト到着は2時15分。ホテルはたまたまインタネットで低価格 (98 €) でツインの部屋を提供していたラインゴルトという名前。横のバーの名前がリヒャルト。(笑) Festspiel の時には値段が跳ね上がるのだろう。

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ホテルにチェックインしてから歩いて30分ほどのところに住んでいるブリギッテの遠い親戚を訪れる。この夫婦、わたしは会うのは初めてで2人ともわたしと同じ年齢。2種類のケーキを用意して待っていてくれた。ここで夕方5時半頃までお茶をご馳走になり歩いてホテルへ戻る。この頃から雨になった。

少し冷えた身体をホテルに戻ってシャワーを浴びて暖まる。8時少し前に宴会場へ。タクシーで行けば5分も掛からない距離である。参加していたのは25人くらいで誕生日を迎える本人の学生時代からの友だちなどが多いようだった。

決して気取ったものではなかったし料理もおいしかった。懸念していた初対面の人たちとの会話も弾んでとても楽しめた数時間だった。ただこういうパーティにありがちな音楽の音量が大きすぎて、相手の言葉が聞き取れないことがたびたび。大声で話すので最後には喉が痛くなってしまった。どうしてあんなに大音量で流すのだろうといつも不思議である。

午前0時へのカウントダウンで目出度く60歳になった彼を祝う。それからあらめて乾杯したり、誕生プレゼントの手渡しなどがあってホテルに帰ってきたのは午前1時半。しばらく振りの午前様だ。

また週末がやって来る

1月29日(金)・曇りのち晴れ/最高気温11度

6時45分起床。今日もほとんど昨日と同じような時間を過ごして夜になった。ブリギッテを送り出しシャワーを浴びたあとはMacに向かって日本経済新聞の無料で読める記事を読んだりする。

最近はディスプレイを見ていると眼の疲れを感じるようになってきた。1時間が限度かな。老眼鏡は半年ほど前に作ったものだからそんなに度が進んでいるとは思えないのだけれど。

朝のうちは曇っていた空も10時半頃から晴れてきた。11時に家を出て昨日と同じコースをノルデック杖を使って歩く。昨日まで残っていた道の雪も今日はすっかり無くなっていた。約8700歩のウォーキング。

そのあと昨日の昼食と同じものを作って食べ、ほぼ同じ時間に昼寝。

明日は恒例の買い物をする時間がちょっと厳しそうなので、今夜のうちに済ましたいとブリギッテが言う。それで6時に彼女の職場まで迎えに行きそのあと一緒に買い物を済ませた。

家を出る前に鮭の切り身と納豆を冷凍庫から出して自然解凍しておく。ブロッコリーは出掛ける前に色よく茹でておいた。

帰り道の途中にある ALDI でわが家と義母の買い物を済ませる。義母宅に立ち寄り彼女に買ったものを渡して帰宅。それから鮭を焼いて夕食。

鮭は網の上で焼いたものがわたしは一番好き。フライパンで料理したりすると鮭の脂分がちょっとくどいなと感じる。わたしはオーブンのグリルで焼くのだが、網の下に敷いたアルミフォイルに落ちる油がけっこうな量だとわかる。

森の中の雪はまだ消えない

1月28日(木)・曇り/最高気温14度

6時50分起床。
今日は完全に予定なし。どこへも出掛けなくて良いし夜もお付き合いは無し。これが一番嬉しい。振り返ってみると働いていた頃は仕事を隠れ蓑にして面倒な付き合いを全てブリギッテに任せていたということなのだろう。

ドイツの習慣でお付き合いはほとんど夫婦揃ってというところがあるから、何とか努めているけれど長年の習慣と持って生まれた性格はなおらない。ブリギッテがわたしと知り合って最初に憶えたわたしの口癖が「Mendo-kusai」だったと彼女は言う。(^_^;)

天気予報では13時頃から小雨になるというので、その前にウォーキングに出掛ける。今日もまだ道には雪が残っている部分があって、そこは雪の表面が溶け出しツルツルの状態。滑ると危険なので今日も杖を持って出掛ける。杖を使うと格段に歩きやすくなるのと、なにやら両腕から胸筋にかけて鍛えられるような気がする。これまではたかがウォーキングに大げさだと感じて使わなかった杖だが、今後は積極的に使ってみようか。

8500歩ほど歩いて帰宅。昼食には白菜、ネギ、ハム、生卵を入れたうどんを作って食べる。そのあと1時間の昼寝。

今日はいつもより1時間ほど早く帰宅するとブリギッテが言うので、4時半頃から夕飯の準備を始める。ほうれん草を茹でて固く絞り、だし巻き卵の中にそれを巻いた。色合いは良いのだが、巻くのがちょっと難しかった。それと豚肉の薄切りを焼く。残っていた「エバラ焼き肉のタレ」を使い切りたいので、醤油、酒、塩こうじ、おろし生姜を入れてタレの味を調える。市販の「エバラ焼き肉のタレ」だけだと甘すぎてわたしは好きになれない。

今日は7時頃にもう夕食が終わってしまい、台所の簡単なあとかたづけも済んで、就寝までの時間がタップリ。

夜の付き合い外食は疲れる

1月27日(水)・曇りときどき晴れ/最高気温15度

6時45分起床。今日も今の時期にしては暖かい日となった。午前中は曇り空。昼近くまで本を読んで過ごした。

昼食後に外出。昨日と同じくお目当ての家具店を探したのだがどうしても見つからない。今日は地図を見てちゃんと目標を定めていったのだが・・・。

SendlingerTor で Tram を下車して記憶にある浴室専門店を探して入る。ここはすぐに見つかった。ちょうど寸法も合った小さな腰掛けを見つけたのだが、値段がちょっと高い。ブリギッテの好みもあるので写真だけ写し今日は買わずに帰宅。

途中で電球が切れているのを思い出したので Conrad に立ち寄り LED の電球を購入。白熱電球に較べると2倍くらいの値段だが、長持ちするし、なによりも発熱量が少ないのがいい。

夕方はまた外食。ブリギッテの甥が義母を訪問して今夜泊まるというので夕食を一緒にと誘われた。わたしはこのところ外食が多いので、ブリギッテに一人で行って来てと頼んだのだが、むりやり付き合わされた。食べたのはまたイタリアレストラン。自分の家で納豆ご飯でも食べていた方がどれだけ良いか。(^_^;)

結局22時過ぎまで付き合わされて帰宅。

フェーン現象

1月26日(火)・快晴/最高気温15度

6時半起床。今朝はブリギッテが年金事務所に8時の予約を取っていた。年金生活者になったときにいくら年金が下りるのか、そろそろ知っておきたいということだ。年金事務所の所在地がわが家から公共交通機関を使っていくと、とても時間が掛かるのでわたしが車で送っていった。7時15分に家を出て予約の20分ほど前に到着。

わたしは入り口で彼女を下ろして帰宅したが、どうも頭がフラフラする。急に暖かくなったからかもしれない。ベッドに入ってもう一度寝直した。1時間ほどして眼が覚めたが頭が重く感じるのは相変わらず。外はピーカンの素晴らしい天気である。

日中は特にすることもないので、久しぶりに街へ出ることにした。以前にその前を通って気になっていた家具屋へ行って見ようと思った。そのときには夜だったので既に閉まっていたがショーウィンドーから見える家具に興味を持った。浴室に置いておける小さな腰掛けを探している。

記憶を頼りに Tram で行ってみたのだが、それが見つけられない。そこだと思った車道も昼の光の下だとまるで違った光景に見える。そのうちにまた頭が重くなってきたので諦めて帰宅することにした。

午後は本を読んで過ごした。夕食は鮭の切り身を焼いたのに昨日食べきれなかった芽キャベツを添える。それと納豆にタップリネギを入れたもの。帰宅したブリギッテはおいしいと食べてくれた。

ブリギッテの話では彼女の仕事場でも頭痛を訴える人もいたらしく、間違いなくフェーン現象の1日だったようだ。わたしは年ごとにフェーン現象に過敏に反応するようになっている。若いときには全く平気だったのに。それと、今日で3日目の断酒。さすがに今夜はアルコールが欲しいとは思わない。早く寝よう。

昨夜のコンサートで謎に思ったこと

【状況説明】
ヒラリー・ハーンと一緒に入場してきて指揮台に上がったのは26歳と若い ラハフ・シャニ ( Lahav Shani )という指揮者。聴衆に挨拶したあとオーケストラに向かった彼は譜面台に置かれている総譜が Violinkonzert a-Moll op. 53 / Antonin Dvořák のものではないと気がついた。

聴衆に向き直り総譜を掲げて説明したあとそれを持って舞台袖に引っ込んだ。その間オーケストラもヒラリー・ハーンもちょっと手持ち無沙汰の状態で待つ。

すぐに戻ってきた彼は手に持った総譜を頭上でヒラヒラさせながら何か一言。彼がなんと言ったのかわたしには聞き取れなかったが、多分正しい総譜を見つけたと言ったのだとそのときは思った。聴衆は笑いながら拍手で迎える。良い雰囲気だ。

しかし、曲が始まると彼はその総譜をまったく開かず暗譜で振りだし最後まで開くことはなかった。これはどういうこと?

この曲、管楽器奏者と絡むところがかなり多くて、ヒラリー・ハーンは彼女の身体をほとんど聴衆に横向きになりながら管楽器奏者とコンタクトをとる。コンサートマスターともかなり緊密なアイコンタクトでこれはわたしの座っている位置からも彼女のまなざしをはっきり確認。

わたしの眼には指揮者を無視してオーケストラとヒラリー・ハーンの二者だけで演奏しているようにも見えた。

で、無事に終わってからわたしは考えた。
【わたしの推理】
この曲の総譜がすぐには見つからなかったのでいったん持ち帰った間違った総譜をそのままふたたび譜面台にのせた。もちろんそれを開く必要はない。暗譜で降りだした指揮者をヒラリー・ハーンは信頼せずに自分でイニシアチーブをとったというもの。なぜ彼は開く意志のない総譜をまた持ち帰ったのだろうという疑問は残る。

【ブリギッテの推理】
彼が再び持ち帰った総譜は正しい総譜だった。26歳という若さにありがちな、俺は暗譜でもバッチリできるんだぜ、とアピールするためにあえて総譜を開かなかった。

さあ、どちらだろう。若い指揮者はアインザッツなども間違ってはいなかったとわたしには見えたのだが。普通、協奏曲の場合、指揮者は楽譜を見るのではないだろうか。ちょっとした謎である。

【後述】
ここまで書いてこの指揮者のことを調べてみようとググってみた。そしたらこのメンツ、同じ曲目で現在ヨーロッパーツアー中だということが分かった。
・ Wiener Konzerthaus Großer Saal 2016年1月11日 19時30分〜21時30分(http://tinyurl.com/gu5kl9g)
多分、これが今回のツアーの皮切りだったのではないだろうか。
・次に数日前にパリでも公演をしている。(http://tinyurl.com/jxsd2da)

ということは総譜を見なくとも既に手の内に入っていたのだ、ということがわかる。な〜んだ。

静かな週明け

1月25日(月)・晴れ/最高気温14度

6時半起床。週明けの今日はなんの予定もなし。嬉しい。外は明るい良いお天気で庭に積もっていた雪もおおかた溶けてしまった。

午前中はゆったりと過ごす。アイロン掛けを必要とする洗濯物があったので昼近くになってそれを片づける。たいした量ではなかったから1時間ほどで終了。

そのあと昼食を食べて昼寝。

午後3時頃から森へのウォーキングに出掛ける。いつもの道はほとんどシャーベット状になっていて杖を持っていったのは正解。それでないと滑りそうで怖い。

夕食は昨夜コンサートに出掛ける前に料理しておいたものを食べる。茹でてあったジャガイモの皮をむいてフライパンで炒め、芽キャベツも温めなおす。ラム肉はフライパンで炒め、塩と胡椒だけで味付け。

台所のあと片付けは20時前に終了して、それから就寝までは気ままな時間。こんな静かな1日は良いものだ。

ちょっと疲れ気味

1月24日(日)・曇り/最高気温7度

8時半起床。今日は11時からミュンヘン日本人会の新年会が開かれる。昨日までは参加することにしていたのだが、昨夜の誕生祝いのあと急に疲れを感じたので今日は身体を休ませることにした。

新年会に出席するとなると、いつもの義母をまじえてのブランチの時間も繰り上がるわけで、なんだかせわしないと思ったのもその理由のひとつだ。そういうわけで今朝は思い切り朝寝。

ブランチを終わったあと12時頃から猛烈な眠気に襲われてベッドに入り1時間の昼寝。これで生き返った。(笑)

午後はのんびりと過ごしていたが夕食の準備を始めた5時過ぎにブリギッテの雇い主から電話がかかってきて、今夜のオーケストラコンサートに行けないかという打診。彼達夫婦も急に行けなくなったようだ。演奏会の開始時間は7時半ということだったので間に合いそう。

それから急いで身支度を調え、まずは切符を受け取りに行く。そのあと Rosenheimerplatz の近くに駐車したのが1時間15分前の6時15分。タップリ時間があるので小さなタイ料理店で軽く食事。30分前には余裕を持って演奏会場にいた。演奏会は別エントリにする。

演奏会が終わったのは9時50分頃で、帰宅したのは10時20分。車で行ったから肉体的にはとても楽だった。

結果的に今日は日本人会の新年会に出なくて正解だった。

ヒラリー・ハーンとウィーン交響楽団による演奏会

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Hilary Hahn, Violine
Wiener Symphoniker
Leitung: Lahav Shani
————————————————–
Komponist
Antonin Dvořák

Werke
Konzert-Ouvertüre »Karneval« op. 92
Violinkonzert a-Moll op. 53
————————————————–
Komponist
Johannes Brahms

Werk
Symphonie Nr. 4
————————————————–

今日の日記にも書いたように夕方5時すぐに突然電話があって今夜の演奏会に行くことになった。

バイオリンのヒラリー・ハーンウィーン交響楽団による演奏会。最初の予定はフィリップ・ジョルダン (Philip Jordan) が振るはずだったが病気のために若いラハフ・シャニ ( Lahav Shani )という指揮者に替わった。演目もブラームスの交響曲2番から交響曲4番に変更になった。

(Der Dirigent Philip Jordan hat seine Teilnahme an der gesamten Tournee aus gesundheitlichen Gründen abgesagt. Lahav Shani wird das Dirigat für dieses Konzert übernehmen. Anstelle von Johannes Brahms’ Symphonie Nr. 2 wird die Symphonie Nr. 4 zu hören sein.)

前半はドヴォルジャークの作品が二曲。最初の「謝肉祭」
(Karneval) というのは初めて聴く曲だった。生き生きとした表情の小品。

そのあと登場したのがバイオリニストのヒラリー・ハーン。以前にも一度聴いたことがあるが、小柄で可愛い感じの女性。

お辞儀をしたあと指揮者が指揮台に上ったら、どうやら譜面台に置いてあった楽譜が違うものだったらしい。彼がお客に向かって「これは違う楽譜ですので」と断っていったん袖に引っ込んだ。そこで場内は笑いの渦。すぐに彼がとって返し、持って来た楽譜を高々と掲げて見せたものだから場内から拍手がわき起こった。これでこの若い指揮者を見守る場内の雰囲気がオーケストラ団員をも含めてあたたかいものになった。

わたしは本来の楽譜を持って再び出てきたのかと思ったが、曲が始まってから終わるまで彼はこの楽譜を開かなかった。暗譜である。もしかしたら本当の楽譜が見つからなかったのかもしれない。

そのせいかもしれないがバイオリン協奏曲が始まってからしばらくはどこか全体がかみ合わない感じだった。ヒラリー・ハーンは管楽器と合わせるときにほとんどお客に横向きになって管の奏者とコンタクトをとっていたし、コンサートマスターともアイコンタクトが密に交わされていた。いってみれば指揮者無視である。わたしの席は最前列横だったから、これらがはっきりと見て取れる位置だった。それでも事故も無く無事に終了。

ヒラリー・ハーンのアンコールはバッハの小品が2曲。

ブラームスの交響曲4番はわたしの大好きな曲のひとつ。出だしはちょっとゆっくり目のテンポ。全体を通して何度か弛緩するときがあったけれど、ブラームス特有の分厚い中低音域の響きに心地よさを感じて満足。やはり良い曲だ。

アンコールはハンガリー舞曲集から一曲。わたしはこれで充分に満足したのだが、最後は何とヨハン・シュトラウスのポルカまでやってくれた。ちょっと場違いで唐突な曲で、ここまでの雰囲気を壊してしまうと思ったけれど、ウィーン交響楽団ということで、ミュンヘンの聴衆へのサービスだったのかもしれない。

ユリアの誕生祝い

1月23日(土)・曇り/最高気温5度

7時半起床。今朝はゆっくりと朝寝を楽しんだ。朝食のあと、ブリギッテは義母と買い物へ。12時半頃の帰宅。

昼食は焼きそばを作ったのだが、2人ともお腹が空いていたので少し食べ過ぎた。今夜はユリアの誕生祝いをする予定なのにこれではお腹が空かないと思ったのだがついつい。

それから昼寝をしたのだが、案の定全くお腹が空いた感じが戻ってこない。18時に家を出る予定でいたのだが、その前にプリンターのひとつがエラーを起こして印刷できないという事態になった。その上に寝室の暖房が効いていないことが判明。そんなこんなでなんだか忙しい外出になった。

食事は以前にも行ったことのあるニュンフェンブルク城近くのイタリアレストラン。料理の品数は少ないのだが、値段が手頃でサービスもキビキビして親切なので気に入っている。22時45分頃にお開き。ユリアと彼はそれから Regensburg に帰っていった。

浴室のリフォーム、これが最後?

1月22日(金)・晴れ/最高気温マイナス2度

6時半起床。月曜日に続いて今日も浴室の工事人2人が来た。月曜日でようやくすべてが終わったと思いきや、その日の夕方に帰宅したブリギッテが不具合を指摘。鏡と水道栓の下の引き出しの位置の線が揃っていないという。線は一致させなくてはならないと最初に言ったのは施工会社の方だからブリギッテがクレームを付けたわけではない。

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わたしはそれに気がつかなかったが、言われて見ればズレている。これから何年にもわたって使うものだから気になりだしたら気分が悪い。それを直しにまた工事人が来たというわけ。

今朝の寒さで工事人の車のエンジンが始動しなくて1時間ほど遅れて到着したが2時間くらいで作業は終了。これでようやく完成だろうか。

昼食には余ったご飯を炒飯にして食べる。そのあと1時間の昼寝をしたあとウォーキング。

気温は氷点下だったけれど太陽が出ていて気持ちの良いウォーキングだった。

夕食は朝ブリギッテが子牛のレバーを冷蔵庫の中に入れていって、彼女が帰宅してから自分で焼くということだった。わたしは付け合わせのほうれん草を茹で、ジャガイモの皮をむいておく。

彼女は定時の帰宅。週末ということで嬉しそうなホッとした表情。すぐに夕食の支度に取りかかる。ジャガイモを塩茹でし、茹でてあったほうれん草をバター炒めにする。

子牛のレバーはフライパンで焼いただけだが、これぞレバーの味という感じでおいしかった。材料が良いものならば料理は変に凝らない方が良い。

餃子は難しい

1月21日(木)・曇り/最高気温1度

6時半起床。今日は夕方4時に歯医者に予約を入れてある以外に特別な用事はない。

ブリギッテを送り出してからレンタルしておいた映画「Earth」を観る。北極から南極までを縦断して撮影した素晴らしく美しい映像。動物相手だから、完成までにはとてつもなく長い時間と経費、忍耐が必要だったと理解できる。堪能した。

観終わってから、わが家の車が雪道を走ったせいで汚れているから洗車したいと昨夜ブリギッテが言っていたのを思い出した。せっかく車を洗いに家を出るのだから、野菜類の買い物と銀行の用事を一緒に片づけることにする。

まず洗車だが、ミュンヘンの道路は雪を消すために塩を撒くからどうしてもそれが車にこびりつく。土汚れよりも塩害の方が心配なので雪の多い冬には何度か洗車をして、特に車体の底の塩を洗い流す。

その帰り道に銀行に立ち寄る。次にスーパーで買い物。

今夜は餃子を作ることにしてキャベツを買うことにした。その他に白菜とToastなどを買って帰宅。昼食は今日もうどん。買ってきたばかりの白菜をタップリと使った。

3時過ぎの Tram で歯医者へ。予想していた通り、今日は抜糸だけで一分もかからずに終了した。そのまままっすぐ帰宅し5時頃から餃子作り。

出来上がった餃子は残念ながら失敗作。焼き方がまずかった。もしかするとテフロン加工のフライパンでは駄目なのかもしれない。それと、隠し味に味噌を入れてみたのだがそれがちょっと出しゃばりすぎた。なかなか難しいものだ。

夜はインターネットで NHK大河ドラマの「真田丸」の動画を探してみた。俳優たちの台詞、演技にはずいぶんと違和感を感じる。常日頃から日本のテレビを観ていないからそう感じるのかもしれない。

カレーを作った

1月20日(水)・晴れ/最高気温2度

6時半起床。今日はなにも予定が無いので、街へ出て浴室に置く小さな踏み台を探してみようと思っていた。シャワーを浴びるときに脱いだ下着を置いたり、そこに座って足の爪を切ったりといった目的に使いたい。狭い浴室なので標準サイズのものは置けない。小さくて、使わないときには折り畳めればそれが最高。

しかし、午前中は電話があったりして出掛ける時間を逸してしまった。それならとレンタルしてあった映画「キャプテン・フィリップ」を観ることにする。ソマリア海岸で海賊の人質になった船長の物語だが、トム・ハンクスの演技が光る映画だった。

昼食のうどんを食べたあと明るい光の射す中をウォーキングに出掛ける。今日は8300歩と少しだけ距離を伸ばしてみた。

今夜はカレーを作るつもりだったので午後、肉屋に車を走らせ豚肉を購入、ついでに豚挽肉(近いうちに餃子を作る予定)とレーゲンスブルグ・ソーセージを買って帰る。帰宅してコーヒーを飲んだあと遅い昼寝。

夕方5時近くからカレーを作り始める。今日もおいしいカレーが出来た。カレー・ルーの袋半分を使ったのでブリギッテと2人でちょうど良い分量だった。カレーは冷凍・解凍すると味が落ちるような気がするので食べる分だけを作るようにしている。

夕食は近所のイタリア料理店へ

1月19日(火)・曇り/最高気温マイナス1度

6時半起床。今日は特別な用事はない。でもこういう時こそ自分を律しなくてはと思って、いつも通りの時間に起床。

眼が覚めてメールを開いたら友人から昨日の雪道で転倒し左手首を骨折したという知らせ。一瞬、身体中の血液が音立てて下降するのを感じた。本人は幸い元気そうだったので一安心。わたしも注意しなくては。

午前中に少し溜まっていた洗濯物のアイロン掛けを済ませる。そのあとでうどんを作って昼食。顆粒ダシと醤油、みりん、日本酒で仕上げる簡単なものだが、いつもながらおいしいと思う。

昨日と違って今日は曇り空だったけれど、ウォーキングに出掛けた。気温は低かったけれど風が無かったから寒さは感ぜず7200歩を歩いて帰宅。

それからポッドキャストを聞きながら餅を作る。今週末にユリアがミュンヘンに来るので彼女に渡そうと思う。他の2人の娘たちはお雑煮も磯辺巻きも食べているのだがユリアだけが今年はまだ餅を食べていない。

彼女は仕事が忙しいのか今回も週末の日帰りになるからわたしがお雑煮を作ってあげることは出来ないが仕方がない。餅を渡しておけば自分で磯辺巻きぐらいは出来るだろう。

夕食は義母の招きで近くのイタリア料理店 Bella Roma へ。先週の病院通いの送り迎えでわたしがほぼ半日をつぶしてしまったのを義母は心苦しく思っているらしい。

そんな気を使わなくてもいいのにと思う。本音を言えばそれで夕方から夜に掛けてわたしの時間がつぶれてしまう。(^_^;)

ブリギッテも仕事帰りに合流して一緒に食べる。わたしは夕食の献立を考える必要が無くなったのは嬉しい。

気温は低いが晴れ

1月18日(月)・晴れ/最高気温マイナス2度

7時起床。今朝は8時からまたまた浴室の工事人が来る予定になっていた。洗面台下の収納棚が注文通りの寸法ではなかったので作り直しで、それがようやくできてきたのだ。その他にもこまごまとした不具合を書きとめてあったので、その作業をして貰った。

結果は、全ての問題が解決したわけではなく、もう少し我慢が必要なようだ。本当にこういうことは1度や2度では終わらないというのを改めて体験する。日本でもきっと同じようなことにちがいないと思いたい。

それでも12時前に終わったので、うどんを作って昼食を済ませたあと、わたしはしばらく振りにウォーキングに出掛けることにした。外気温は氷点下という寒さだが太陽が出ていて気持ちよさそうだったのに誘われた。

いつもの道は確実に雪に覆われているので、今日はノルディックの杖を持って出掛ける。約1時間歩いて帰宅。休まずに歩いたのに新しい活量計の「早足」の数字は233歩としか示さない。これまで使っていた歩数計の「しっかり歩き」とは違うものらしい。「しっかり歩き」は20分ほど連続して歩いた数字だったが、新しい活量計の「早足」は正真正銘の早足で歩いたものを示すらしい。歩数は7908歩で、これは正確な数字だ。

帰宅して約1時間の昼寝。

夕食はアイデアが湧かないので冷凍庫の中から「マグロ」「タコ」を出して解凍し、お刺身にした。先日作った混ぜご飯もあったのでそれを解凍。今日は楽ちんで手抜きの夕食となった。

Five o’clock tea なるもの

1月17日(日)・曇りときどき雪/最高気温0度

6時半起床。日曜日だからゆっくり寝ていてもよいのだけれど、いつもの時間に眼が覚めてしまった。二度寝する気にもなれなくてそのまま起きた。普段通りにシャワーを浴びたあと、ブリギッテが起きてくるまでティーポットいっぱいのお茶を飲む。

9時40分頃に義母を迎えに行きいつもの日曜日ブランチが始まった。12時頃にそれは終了してあとかたづけをしたあとブリギッテにせがまれてボードゲームを3人ですることになった。ボードゲームなんてもう何年もやっていない。日本ではダイヤモンドゲームといってたと思うが単純なゲーム。ブリギッテは義母の老化を遅らせるつもりでやっているらしいので、まあ、仕方がない。

午後1時近くになって眠くなってきたので昼寝。午後2時過ぎに起きてきたらまだ義母がいた。わたしは寝起きで頭がボヤッとしているのでブリギッテが彼女を送っていった。

今日は午後4時から友人夫妻と Hotel Vier Jahreszeiten Kempinski Five o’clock tea をした。遅くなったがわれわれからの友人夫妻へのクリスマスプレゼントである。

ホテルのバーに近いゆったりとした席でのお茶だった。わたしはロンドンのホテルで1度経験があるけれど、ドイツでは初めて。まず最初に運ばれてきたのがティーポット。これが面白い形をしていて寝かせて置かれていった。ポットが踊っているようで何ともユーモラス。

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お茶が入った時間を見計らってサンドイッチとケーキの三段重ねが運ばれる。

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わたしはこの塔を見ただけで完食は無理だと思った。食器などはそれなりの格式を保っていて期待が持てたが、サンドイッチはともかくとして真ん中の段のクッキーはわが家で食べる方がおいしい。

案の定、最上階のケーキはどうしても食べられなかった。お腹が一杯になったというわけではないのだが気持ちが萎えてしまいどうしても食べる意欲が湧いてこない。他の3人はおいしいとペロリと平らげていたから、わたしがおかしいんだろう。

3時間以上のおしゃべりを楽しんで帰宅。帰宅後も胸焼けがするようで、今日の夕飯は抜きである。Five o’clock tea にはもう行かない!

一日中家の中

1月16日(土)・曇りときどき雪/最高気温0度

8時起床。昨夜就寝するときに、自然に眼が覚めた時点で起床しようとブリギッテと話していたからいつになく遅い時間にベッドから出た。

外を見るとやはり昨夜は雪が降り続いたらしく庭のほとんどが雪で覆われている。

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この冬も暖かいとこれまで感じていたがやはり年を越したら冬らしい天気になってきた。今日はどこへ出掛ける予定もないので家の中でヌクヌクとしているぶんには快適。

ブリギッテは恒例の義母を連れての買い物に出掛けていった。義母にとって週に1度の買い物はストレス解消にもなるのだろうし、身体を動かすことになるので悪いことではない。ただ、彼女のゆっくりした動作に付き合うブリギッテは忍耐を強いられる。

ブリギッテが戻ってくるまで、ベッドカバー、シーツの交換とシャツのアイロン掛けを済ませる。

昼食はブリギッテが買ってきた Leberkäse で済ませる。これはしょっちゅう食べるのは嫌だがたまにだとおいしいと感じる。そのあと2人とも眠くなって昼寝。

夕方からブリギッテは cuvillies-theater での演劇を観に出掛けた。誘われたのだが、わたしは断ったので友人の女性を誘って観に行った。

夜はアンナが洗濯物を持って来訪。

夕方から日本映画を観る

1月15日(金)・曇りときどき小雪/最高気温1度

6時半起床。夕方までは静かな時間。いつもの時間がゆっくりと流れていく。

午前中にアンナが来訪。仕事仲間の女性が今日、役所での結婚式を挙げるとかでそれに招かれたそうだ。教会で行われるそれとは違って簡素なものだから彼女も普段着に近い恰好をしていた。

彼女が用意したプレゼントを入れるのに適当な空箱はないかという注文で、ちょうどいただき物のソーメンが入っていた桐箱があったからそれを与えた。なんと表に筆書きで「寿一」とある。おめでたそうなのでそのまま使ったらとアドヴァイス。日本だったらちょっと出来ない相談だ。(^_^;)

昼食は3日前にブリギッテが作った野菜スープをようやく平らげた。電子レンジで温めなおしたものだが、作ったときと同じようにおいしかった。そのあと1時間の昼寝。

午後から尾上さんが送ってくれた著書「谷崎潤一郎 没後五十年」を読み始める。谷﨑に関してはこれまでの付き合いの中でチョコチョコと話してくれてはいたが、こうしてまとまったものを読めるのは嬉しい。じっくりと楽しみたい

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眼が疲れてきたら本から離れて、4月に計画している旅の計画を立て始める。旅への楽しみと留守中の家族への不安とが入り混じった複雑な気分。

夕方から日独協会主催の日本映画「アドレナリンドライブ」を観に GASTEIG まで行く。仕事帰りのブリギッテも同行。それが終わったあと Rosenheimerplatz 近くのインド料理店で遅い夕食。わたしはタンドリーチキンをブリギッテはラム肉を注文した。このレストランは初めて入ったが、ちょっと期待外れ。次回はないと思う。

雪の降りしきる中を23時の帰宅。

昼食は街で

1月14日(木)・晴れときどき曇り/最高気温5度

6時半起床。今日はなにも予定が無いはずだったけれど朝食時にブリギッテと話し合い、彼女のお昼休みを利用してドイツテレコムに行ってみようということになった。

彼女は3年前の2013年1月から iPad mini を使っている。去年の末頃に気がついたのだが、毎月の請求書がいつの間にか10 € も高くなっていてその理由がわからない。それを訊きに行こうと思った。

それには彼女の iPad mini を持っていかなくてはならないので12時に Marienplatz で待ち合わせた。テレコムの店に入るとかなり混んでいて10分くらい待たされた。

係員に事情を言ってみると余り要領の得ない返事が返ってきて、結局今までよりもずっと安い15€/月という契約に切り替えることが出来た。これまでは50 €/月だったのだから大きな違いだ。

そのあと Marienplatz 裏のお店で軽く昼食を済ませる。ちょうどお昼時とあってこの近くで働く人たちが客のようだった。わたしはグーラッシュ、ブリギッテはクリームスープにコレアンダーの入ったもの。両方とも試してみたがおいしかった。二人で 15€ だから昼ご飯としては許容範囲の値段だろう。

途中で面白い光景にぶつかった。どういうわけか階段に鳩が集まっている。写真に撮ってみた。

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横から写してみても面白い。

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そのあと彼女は仕事に戻り、わたしは帰宅。家に戻る頃に眠気が襲ってきて1時間ほどベッドに横になった。気持ちの良い昼寝。

夕食はカレーを作るつもりだったのだが、タマネギの買い置きが一個しかなかったから麻婆豆腐に切り替えた。クックパッドにあった「焼き肉のタレ」を使ったレシピだったので作ってみる。やはりちょっと甘い。(^_^;)

夕食後、義母宅への届け物があるというのでブリギッテを車に乗せて往復。外はみぞれになっていた。どうやら明日から気温がグッと下がるようだ。

今日は運転手

1月13日(水)・小雨/最高気温4度

6時起床。昨日は歯を抜かれたショックで9時前にもうベッドに入った。夜中に抜かれた歯のあとが痛み出すのではないかと案じていたが、なんと朝までグッスリと眠って気持ちの良い目覚め。ベッドから出てから少しだけ痛みを感じたがそれにもすぐに慣れた。

朝食はごく普通にToastをを食べることができた。もちろん歯を抜いた方の側で噛むことは怖くて出来なかったけど。そんなところにアンナから電話。

「寝過ごした!今日は大事な会議があるので車で送ってくれる?」わたしはパジャマのまま車に飛び乗り彼女を7時54分にピックアップしてなんと8時8分には彼女の職場に到着。あと5分遅れていたら渋滞に引っかかるところだった。会議は8時半からだったから余裕で間に合った。アンナから言われた言葉。「お父さんが年金生活者で助かったよ」

午後は義母の運転手役を務めた。
今日は去年手術した腰骨の検査だった。レントゲン写真を持っていくことになっていたんだけれど、どうやら間違ってずいぶん前のレントゲン写真を持っていったらしい。それでもう一度撮影のし直し。(-_-;) 今日やらないと、日を改めてまた出直すことになってしまう。

義母はわたしを待たせることに気兼ねしたらしいけれど、結局レントゲン撮影をすることにした。わたしとしてももう一度出直して来るよりはその方がありがたい。ということで、終了したのは午後2時40分。

予約時間が12時15分だったからきっとお腹が空くだろうと思い、家を出るときにチーズ・サンドイッチとハム・サンドイッチの2つを作ってカバンの中に入れていた。診察が終わって車に乗ってから義母にそれを提供。彼女はやはりお腹が空いていたらしく車の中でペロリと平らげた。(^_^)

わたしは3時過ぎに帰宅。それからうどんを作って遅い昼食。昼寝をするタイミングを逸してしまったので今日の昼寝はなし。

夕食は先日買っておいた「丸美屋のきのこ釜めしの素」を使った混ぜご飯を作る。冷蔵庫の中にほうれん草があったのでおひたしにした。

また歯が一本減った

1月12日(火)・雪のち晴れ/最高気温6度

6時半起床。どうやらいつも通りの朝が帰ってきた。朝食をとったあと8時頃にブリギッテは出社。わたしはそのあとシャワーを浴びて浴室を出てきたら外は雪が降り始めていた。かなりの勢いだったので、これは積もるなぁと思っていたらお昼過ぎには止んで太陽が出てきた。

今日は15時15分に歯医者の予約が入れてあった。クリスマス前から痛み出していた奥歯は今日まで、時には良くなったかなと思った日もあったのだが、このままでは済まないだろうとは想像していた。

歯医者に着く頃には、たぶん抜くことになるだろうとは覚悟していた。少し早めに着いたので、まずはレントゲンを撮られた。そのあと診察。やはり医者は「これは抜くしかないね」というので「なんとか治療できないのか」と聞いてみる。その答えは「今日治療して痛みが消えてもまた3ヶ月後にはここに来ることになる。そのための治療費は全く無駄だ」。それに納得して抜くことにした。

麻酔の注射を打ってそれが効いてきた10分ほどあとに抜歯。もちろんこの時は痛くもなんともない。しかしこれまで自分の身体の一部だったものを失うというのは寂しいものだ。

帰宅したのは夕方の5時頃。この頃から少し痛み出したけれど我慢できないほどではない。

夕食はブリギッテが野菜のポタージュスープを作ってくれた。それがおいしかったのでお皿に3杯もお代わり。

今日は早寝する。夜中に痛まないと良いのだが、そのときには貰ってきた痛み止めを服用する。たぶん大丈夫だろう。

小雨のなか街を歩いた

1月11日(月)・小雨/最高気温6度

7時起床。6時過ぎに目が覚めた。そのときにはもうブリギッテは起きていたので、ああ、これは大丈夫だなと思った。あとで聞くと実は本人も少し不安だったらしい。

朝食のあと8時に彼女は出掛けて行った。わたしはそれからゆったりとシャワーを浴びて身支度を調える。いつもだとやっと1人の生活が戻ってきたという嬉しさがあるのだが、今回はちょっと違った。

歯医者の予約を入れるのにお話し中が続くので何度も電話をかけ直した。わたしの掛かっている歯医者はクリスマスから新年にかけての長期休暇が終わって今日から仕事開始。わたしのようにそれを待っていた患者も多かったのだろう。ようやく明日午後の予約が取れたので一安心。

それから劇場に電話をして日本の友人からの預かり物を届ける約束をする。劇場内で働くその知人も今日が仕事始めだとか。ドイツの通例として1月7日から仕事を始めをする人が多いのだが、今年はカレンダーの都合で今日からという人も多いようだ。

少し小腹がすいていたがそのまま家を出る。 Max-Weber-Platz から劇場までの道のりをしばらく振りに歩いた。あいにくの小雨で少し濡れたがどうということはない。

知人は仕事中だったので少しだけお話をしてそのあと劇場の向かいにあるブリギッテの仕事場へ。彼女はちょうど昼休み時間だったらしく席を外していたが、外へ出掛けたということは目まいの方も大丈夫ということだから安心して帰途につく。

ところが途中でバッタリと行き会ってしまって、一緒に昼食を食べようかと誘われたがレストランに入ると時間が掛かりそうなのでそのまま別れる。途中で日本食品店に立ち寄り餅米を二袋購入してから帰宅。ユリアはまだお雑煮も磯辺巻きも食べていないので次回に帰省したら食べたいと言うに決まっている。

家に着いた頃にちょうど快い空腹を感じていたので、久しぶりにうどんを作って食べる。クリスマスからこちら「お腹が空いた!」と感じる機会がなかった。やはりお昼はこのような食事がいいなぁと思う。

そのあとはベッドに入って気持ちの良い昼寝。今日はそれまでに5000歩以上歩いているから気分も良かった。

ブリギッテは6時半頃に帰宅。午前中はちょっと頭の中に霧がかかったようだったけれど午後からスッキリしてきたそうだ。

夕食はわたしもブリギッテもそれほどお腹が空いていなかったので、炊いてあったご飯と昨日ブリギッテが作ったグーラッシュで済ませた。

穏やかな日曜日

1月10日(日)・曇り/最高気温8度

7時起床。わたしはいつもどおりの時間に起床。ブリギッテは体調が良くなったことでもあり、明日から通常の仕事に戻るから早起きをしなくてはならないので、最後の朝寝を楽しんでいた。

今日は日曜日なので恒例のブランチ。いつもはわたしが義母を車で送り迎えするのだが、今日はブリギッテが替わってくれた。めまいの症状が現れなくなったのでそろそろ運転も再開ということだ。ちょっと心配だったけれど問題なく運転できたようだった。

ブランチのあと、義母はそのまま残り古い8ミリフィルムをブリギッテと観て懐かしがっていた。14時過ぎにわたしが彼女を車で送っていく。ブリギッテは15時から隣の奥さんにお茶に招待されていた。

義母を送って帰宅してからわたしは久しぶりにひとりでウォーキングへ。ちょっとまとまった距離を歩いて5349歩。

ブリギッテは18時半頃の帰宅。午後に夕飯のグーラッシュを作っておいたので、わたしが皮をむいておいたジャガイモを茹でるだけ。

夕飯のあと、ブリギッテはテレビで日曜日のドラマを観ている。わたしはダイニングキッチンで電子書籍を読み続ける。静かな日曜日の夜。

貰って嬉しかったクリスマスプレゼント

2015年(昨年)のクリスマスに義母から古いビールジョッキをプレゼントされた。昨年は彼女を何度も車に乗せて病院やら買い物やらに連れて行ったものだから、それを感謝してということらしい。

いただいたのは義母のおばあさん(1880-1961)から受け継いだビールジョッキ。錫製の蓋はそれなりに古色蒼然としているがなかなかの風格で、とても嬉しい。少し手入れをしてこれでビールを飲んでみるつもり。

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この女性はブリギッテのひいおばあさんにあたるわけだが、写真が残っているのでそれを揚げておく。1枚目の写真は抱かれている義母が2〜3歳の頃のもの。多分1933年頃だろう。

Foto 1 (1)

次の写真は女性四代にわたる写真で左の幼子がブリギッテである。右から二人目はブリギッテのおばあさん。ひいおばあさんにとっては息子の嫁で、この二人に血のつながりはない。
これを見ていて写真って撮っておくべきだなぁとまたしても思った。

Foto 2

付き合い

1月9日(土)・曇りときどき小雨/最高気温8度

8時起床。今日は自然に眼が覚めたときに起きて、朝食をとりそれからゆっくりと買い物に付き合うことに決めていた。

買い物はまず Hamberger という料理店を経営している人たちが使う問屋のような大きな店へ。ここは入場許可証がないと入れないのだが、ブリギッテの親戚に頼んで入場許可証が取ってある。

ここでは日本食品が安く買えるのでときどき利用しているのだが、今日も醤油、マヨネーズ、うどん、その他を買い込んできた。

そこを出てから Unterhaching のいつもの買い物街へ廻る。彼女の今日までの療養をねぎらう意味もあったので、わたしも今日はおとなしく付き合って腹も立てずに最後まで買い物をしてきた。

しかし、日用食品、雑貨の買い物というのは疲れる。帰宅してから簡単な昼食を済ませたあとはすぐにベッドに入ってタップリと昼寝。ブリギッテも今週は定期的に昼寝を取っているのでそれが習慣になってしまったようだ。

お天気の方は朝から小雨が降り続いているので、今日は短い散歩も無し。さすがに夕方になるとブリギッテも退屈でたまらなくなってきたようだ。

何か面白い映画をやっていないだろうかとインターネットで検索しているので、それじゃ iTunes で何か探してみたら? と勧めた。こんな天気の悪い夜に外に出掛けるのも億劫だし、二人だと映画料金もバカにならない。

わたしはこんな日には歯切れの良いアクション映画を見たいと思ったのだが、ブリギッテはアクションは嫌だと言う。妥協して「大統領の料理人」というフランス映画(ドイツ語吹き替え)を観ることにした。

二人ともお腹が空いていないので、パンと数種類のチーズ、オリーブの実、プチトマトを皿に用意してテレビの前に並べ、それを食べながらの観賞。この映画、料理の画像はおいしそうで楽しかったのだが、全体の構成、俳優の演技などは退屈だった。

彼女はそのあともう一本観たいというがわたしは遠慮した。本を読んでいた方が楽しい。(^_^;)

午前中に墓参り

1月8日(金)・晴れのち曇り/最高気温8度

6時半起床。今朝は8時15分に Heizungsableser が暖房器の使用量を測定に来る予定になっていた。7時半頃までに起きればいいかなと思っていたが、眼が覚めてしまったのでほぼいつも通りの起床時間。しかしそれが正解で測定人が来たのは30分も早い7時40分過ぎ。ドイツでは珍しいことだ。

朝食が済んでから、天気も良いことだし新鮮な空気も吸いたいから墓地まで連れて行ってくれとブリギッテが言う。わたしの記憶だと日本で墓参りに行くのは春分の日とか、故人の命日とかの限られた日なのだが、ブリギッテも義母もしょっちゅう墓地に行く。きちんと管理が行き届いているかを検分する意味もあるらしい。

どうせ行くのならと義母も誘ったところ、喜んでついてきた。ブリギッテはまだ車を運転できないのでわたしが運転手役。義母の車椅子をトランクに積んで、墓地に着いてからはわたしが押し役。

まだ10時前だったので太陽が出てはいても底冷えがした。墓地はきれいに整理されていて二人とも満足。12時頃には義母を送り届けてわれわれも帰宅。

コーヒーを飲んでからわたしもブリギッテもちょっと疲れ気味だったから早い昼寝。

眼が覚めてから昨日の鍋の残りに冷やご飯を入れて雑炊にする。昨日も書いたようにかなり甘めのスープだったので塩を足し、溶き卵を掛け回していつもの雑炊らしい味になった。

そのあと今日も30分ほどの散歩をブリギッテに付き合う。ブリギッテはしっかりした足取りになってどうやら今度こそ復調したようだ。明日、明後日と無理をするようなことがなければ来週から仕事に復帰できるだろう。

夕食は久しぶりにブリギッテが幅広のパスタを料理した。新鮮なイカを冷凍してあったのを解凍し、トマトソースでまとめたものとグリーンサラダ。19時頃に夕食を終わってあと片付けと洗い物はわたしがやった。

明日の土曜日は午前中に買い物に出掛ける予定。義母は明日は一緒に来ないというので、買い物もトントンと運ぶだろう。

ずいぶんしっかりしてきた

1月7日(木)・晴れのち小雨/最高気温6度

8時起床。5時過ぎに目覚めてトイレに行ったあとまた眠った。ブリギッテは昨夜はめまいも感じずに朝まで通して眠れたという。このまま良くなってくれるのを願うばかり。

朝食もゆったりととって、それとなく彼女を観察しているとほぼ日常のものと変わらない。11時頃に溜まっていた銀行の用事を済ませるために車を走らせる。年が明けて間もないせいかATMの前には行列が出来ていた。

義母宅に立ち寄り、途中で買った焼きたてのパンを置いてくる。今日は長男夫妻が来るというので髪もきれいにセットしてなんだか嬉しそう。いつもより若々しく見えた。

われわれは帰宅してまたベッドの端での体操。3セットやると15分かかるので、側に立っているだけのわたしはなんとも退屈。彼女はそのあと少し眠ったようだった。

簡単な昼食を済ませたあと、昨日と同じように30分ほどの散歩に付き合う。明らかに昨日よりは彼女の足取りがしっかりしてきた。帰宅してからわたしは1時間の昼寝。

夕食は冷蔵庫の中を片づけるために残っていた野菜を使って鍋物をすることにした。春雨が切れていたので Tram に乗って買いに行く。Toastも買って帰宅。歯痛の再発が心配でまだドイツの堅いパンを食べる気になれない。

鍋物にはキャベツ、青梗菜、人参、マッシュルーム、ネギ、海老、豆腐などを入れたがキャベツと人参は甘味が出てしまって鍋には合わない。やはり白菜がおいしい。しかし野菜をたくさん食べるのには鍋物が一番。

8時過ぎにはあとかたづけも済んで、就寝まではゆったりとした時間。

2度目のお雑煮

1月6日(水)・晴れのち曇り/最高気温8度

7時起床。眼が覚めたときに隣のベッドからため息が聞こえるので、どうした?と訊ねたら「寝返りを打つとまだ気持ちが悪くなる」との返事。

昨夜の感じではずいぶん良くなったかなと思っていたので彼女もガックリ。一旦ベッドの端に座って、彼女の左右に身体を倒す運動を助ける。助けると言ってもストップウォッチで左に倒して1分、右に倒して1分、まっすぐに座って3分というセットを3回、スマホで計測しながら様子を見るだけなのだが。万が一の時の用心に誰かが側に付いているようにと医者の言いつけである。

わたしはそのあとシャワーを浴びて洗髪、朝食の用意をした。ブリギッテは体操のあとまた眠くなったらしく寝室を覗くとグッスリと眠っている。そのままにして1時間後に一緒に朝食をとった。

彼女もシャワーを浴びたあとはほとんど気持ちの悪さも取れたようでほぼ正常。今日はクリスマスツリーを片づけて正常の日々に戻るのが習慣なので、われわれもツリーのオーナメントを外し、ケースにしまい込んで地下室へと運んだ。モミの木は今年もわたしが枝を払い落とし、幹は庭の片隅に、枝はバラの木の根元に防寒用にと敷き詰める。

ダイニングキッチンの床もきれいに拭き掃除をして、ようやくこれで平常の環境に戻った。その作業中もブリギッテの様子を注意深く見ていたが日常の生活には余り支障がないようだ。

小腹が空いたので軽く昼食をとったあと、二人とも昼寝。

眼が覚めてからまた身体倒しの運動。そのあと外の新鮮な空気を吸いたいというので、最短コースを20分ほど歩いて帰宅。この時の彼女はほぼまっすぐ歩いていた。昨日の午前中はフラフラ揺れ動いて心許なかったのだが。

夕方5時頃にアンナとカローラが訪れる。カローラの夫は遅れて6時半頃に到着。二人とも1月1日からハンブルグに旅行に行っていてお雑煮を食いはぐれたので、今日ご馳走することにした。餅好きのアンナはそのお相伴である。

あいにく蒲鉾がなかったのでちくわで代用。昨日、新鮮なほうれん草を買ったのが、とてもおいしかった。お雑煮でそれぞれが4〜6個食べたあと、磯辺巻きのリクエストが掛かって、昨日作った餅を全て食べ尽くした。これだけ喜んで食べてくれると作った方も気持ちが良い。

今回はいつもより薄めに延ばして市販品の切り餅と同じ感じだったが、この方が早く焼き上がるし、全体の歯触りも良い。

夕食は8時頃に終わって、わたしを除く4人は下の部屋でブリギッテの小さい頃の8ミリフィルムを見ている。ブリギッテの様子は大丈夫なようである。

目まいの専門医に掛かる

1月5日(火)・曇りときどき晴れ/最高気温7度

5時起床。昨日に続いて早起き。今日はブリギッテが9時45分に目まいの専門医に予約が取れたので、その前に大事な仕事を済ませておきたいという。昨夜は9時頃にもう就寝していたので寝不足という事も無く普通に起床することが出来た。

シャワーを浴び朝食をとったあと6時頃に家を出る。彼女を事務所に送ったあと、帰宅してわたしは餅を作ることにした。カローラがきっと餅を食べたいと言うに決まっているのだが暮れに作った餅は既に食べてしまって無い。

それを作り終えた後でブリギッテから電話が入り、診察が終わって徒歩で事務所へ帰るところ。まだフラフラするらしく、午後から今週一杯病欠をすることにした。明日はどちらにしても祝日なので問題はない。

彼女は少し顔色が悪いようだったが、専門医に掛かって精神的に安心したようだ。家で行える練習(昨日のブログにも載せた方法)を一日に3回繰り返すようにと言うことだった。そのときには誰か側に付いていていなくてはならない。急激なめまいが起こったときの補助のためだ。

家に戻ってから軽い昼食をとらせ彼女をすぐにベッドに送り込む。わたしはまだ歯痛が残っているのでご飯を軟らかめに炊き、ジャガイモと大根の千切りの味噌汁を作る。それにタマネギ入りのオムレツを作って歯の痛いところに当たらないよう注意しながらゆっくり食べた。

1時頃からわたしも昼寝。起きたときにブリギッテはずいぶん楽になったようだった。それから身体を横に倒す練習を3セット繰り返す。

また歯痛が起こったときの用心のために Rosenheimerplatz まで豆腐を買いに出掛ける。野菜もついでに買って Tram の駅四つ分ほどを歩く。これで少し気が晴れた。

夕食は今日も18時頃と早く済ませる。ブリギッテにはわたしがお昼に作ったものを食べさせ、わたしは湯豆腐。もしかしたら夜中にお腹が空くかもしれないがそのときにはバナナでも食べようか。

久しぶりに蒸し風呂を立てて暖まったあと22時前の就寝。明日は祝日なのでゆっくりと寝ていられるだろう。ブリギッテの症状もしっかりと休養を取ってくれれば来週には治るような気がする。

ブリギッテの症状、ぶり返す

1月4日(月)・晴れのち曇り/最高気温6度

6時起床。どうもブリギッテの症状はぶり返してしまったらしく、初出勤であるはずだった今日は病欠をすると言う。しかし、どうしても片づけなくてはならない用件があるから早朝出勤してそれを処理してから残りの時間を病欠と云うことにする。

なので7時過ぎ、まだ暗いうちにわたしが車で事務所まで送っていった。わたしは一旦帰宅して彼女からの電話を待つ。お腹が空いてきたので冷凍庫に入っていたご飯にふりかけをかけて簡単に済ませる。

10時過ぎにブリギッテから迎えに来て欲しいという電話があり家を出る。彼女は結局3時間ほど働いたことになる。帰宅途中で家庭医の処により立ち寄り彼女の常備薬の処方箋を受け取る。待合室に多くの患者がいたので今回の目まいの件は相談するのを止したそうだ。どちらにしても専門医に掛かった方がいい。

わたしも眠かったし、ブリギッテも疲れていたのでほとんど同時にベッドに入って昼寝。

その前に今度はわたしの歯痛がまた始まった。今朝、歯医者に電話をしたら1月8日まで新年の休業中だという留守電。ということは来週になってしまう。今日一日様子を見てどうしても我慢が出来ないようだったら家の近所の歯医者に行こうと思う。

昼寝から覚めたブリギッテはまだ本調子ではなさそう。わたしは彼女から頼まれた郵便を投函しがてら少し歩いてきた。これで歯痛がなければ気持ちがいいのだが。

夕食は出来るだけ柔らかいものをと、昨日も食べたのだが「湯豆腐」にした。それだけではお腹が減るのでイクラ掛けご飯を食べた。右の奥歯が痛いので出来るだけ左側だけで噛むようにする。

しかし、豆腐は素晴らしい食品! 箸で掴めるだけの硬さがあるにもかかわらず舌の圧力だけで崩れるのがすごい、と妙なところで感心した。(笑)

ブリギッテ、ほぼ快復

1月3日(日)・曇り一時霧雨/最高気温5度

6時半起床。隣で眠っていたブリギッテは夜中に苦しむこともなくよく眠れたようだった。今日は日曜日ということで本来なら義母を入れてのブランチなのだけれど、さすがに今日は断った

早朝わが家に配達されたパンの義母の分を8時頃に車で届ける。そのあとまだふらつき加減のブリギッテと朝食。彼女はいつも食べる2個のパンを1個だけ食べてまたベッドに戻った。

わたしの記憶では少々あいまいになっていたが、彼女自身は2年ほど前にも同じ症状でダウンしたことを憶えていた。

そのときは初めてだったので今回よりも一層パニックになったようだった。この時には快復までに4日ぐらい掛かっている。今回はこの時に得た知識が役に立ったのか二日で元に戻った。

それは2014年2月19日からのもので、ブログを読み返してみると興味深い。

驚いた! |  Mein dritter Blog

その方法とはベッドの角に腰をかけて90度真横に身体を投げかける。頭を衝撃から守るためにベッドでなくてはならない。次に身体を起こして元のように腰掛けてから頭をブルブルと横に振る。その衝撃と振動によって耳の中の小さな玉を動かして元に戻すのだそうだ。猛烈な目まいはその小さな玉の位置がずれることによって起こるとのこと。

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ミュンヘン大学病院のサイトにもこの方法が載っているのでそのリンク先を書いておく。

BPPV – Lagerungsmanöver

これ、見ていると小さな子供がふざけているようで妙におかしい。しかし効果があることは確かである。今回もこれを数時間おきに繰り返すことでどんどんふらつき感が消えていった。

お昼になってわたしも昼寝をしたのだが、隣で眠っていたブリギッテの寝息が深くて本当に気持ちよさそう。これを聞いて大丈夫だなという実感を持った。

案の定、昼寝から眼が覚めるとずいぶん元気そうで顔色も良くなっている。新鮮な空気を吸いたいから義母宅までの散歩をエスコートして欲しいという。大丈夫そうだったからゆっくりと約10分ほどを歩いて義母宅へ行き、元気な顔を見せて彼女を安心させることが出来た。帰途は無理をせずに Tram を使う。

早めの夕食には「湯豆腐」と「親子丼」を作った。これで大晦日のフォンデューで余ったお肉を全て消化。これなら明日の仕事始めは大丈夫出勤できるだろう。良かった!

ブリギッテ、絶不調

1月2日(土)・曇り/最高気温1度

6時半起床。わたしはいつもの時間に起きてゆったりとお茶を飲んだりしていた。ブリギッテはしばらくあとになって起床。昨夜はなんでもよく眠れなかったと言っていた。

わたしが台所の整理をしているときに、側で整体体操をしていたブリギッテが「目が回る〜!」と大声で叫んでパニックに陥った。幸いにマットの上で横になって体操をしているときだったから、倒れて頭を打ったりすることがなかったのは幸いだった。しばらく横になっていて、少し落ち着いてからベッドまで手を引いて付き添った。

1年ほど前にも義父が亡くなったあとにこれと同じ状態になったことがあって、そのときの気分はジェットコースターに乗ってるようだという。そのひどさがわかるような気がする。

とにかく安静にしてたほうが良いので今日の予定は全てキャンセル。午後に来る予定だった知り合いの娘にも断りの電話を入れる。土曜日の恒例である義母と一緒の買い物はわたしが代わりを務めた。ちなみにわたしと一緒だと義母の買い物も速い。

一旦帰宅したあと体裁の良い便箋と封筒が必要というのでわたしが街まで出掛けた。彼女の様態が気になっていて、これもサッサと買い物を済ませて13時頃に帰宅。

昼食は食べたくないというのでわたしだけ、残りの汁にお餅を焼いて入れてお雑煮を食べた。そのあとベッドに横になり昼寝。

彼女が嘔吐する音で眼が覚めた。用心のために彼女の枕元にはバケツを置いておいたのだが、吐きたくてもなにも出て来ないようだった。

夕方になっても様態は変わらず、ブリギッテ自身がインターネットで探した薬を買ってきて欲しいと言うので19時過ぎに薬局へ。これは乗り物酔いの薬らしいのだがなにも無いよりはましと帰宅して飲ませる。

その後しばらくして嘔吐。これで少しは良くなったのではないかと思う。薬のせいで眠りについたようだが、今夜は注意して様子を見なくては。クリスマスから新年にかけて自分の限界を超えていろいろなことをした結果だと思う。明日は日曜日なのでしっかりと休養してくれれば。

喰っちゃ寝の元旦

1月1日(金)・曇りときどき小雨/最高気温6度

7時起床。昨夜は就寝が1時を過ぎていた。しかしいつも通りの目覚め。朝食は11時からと決めていたのでブリギッテは10時頃まで熟睡。

シャワーを浴びたあと一人で紅茶を飲みながらゆったりする。9時半を過ぎた頃から「お雑煮」の準備。とは言ってもスープは昨夜のフォンデューの残りを使うから特別にすることはない。

人参の型抜きをし、椎茸を細切り、鶏肉の薄切りを用意する。スープは薄口醤油を加え、水を加えて延ばす。用意してあった紀文の蒲鉾はお雑煮に入れると本来の風味とシコシコ感と味が失われるような気がしたので、切って皿に並べるだけにする。

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11時近くにブリギッテが車で義母とアンナを迎えにいった。その間、30日に作っておいた餅をオーブンで焼く。のし餅にするときに適当な器がなくて少し厚くなってしまった。しかし焼くには全く問題がない。

お雑煮はけっこう色よく出来た。出色だったのはやはりスープで昨夜のフォンデューを引き継いだ味がなんとも形容のしようがなく複雑でおいしい。

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ほうれん草を買うのを忘れていて、その代わりにセリを使ったがこれもおいしかった。やはり緑色が無いとお雑煮は寂しいとわたしは思う。

思いがけなく義母が3度もお代わりしてくれて、お雑煮のあとにお試し用にと「磯辺巻き」を勧めたらそれもペロリと平らげた。アンナもブリギッテも餅が大好きなのでよく食べた。

12時過ぎに解散し、義母とアンナを送っていったあとわたしとブリギッテは爆睡。

義母を迎えに行き、7時頃から夕食を始める。アンナは友だちと約束があるとかで夕食は不参加。まあ一日に二回も両親、おばあさんと食事をするのも彼女にとっては苦痛だろう。

夕食はブリギッテが鱒を料理した。

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デザートは即興で作ったものらしいがおいしかった。

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22時近くに義母を送っていって元旦も終わる。