ユリア一家が帰っていった

6月25日(日)・小雨のち晴れ/最高気温21度

7時起床。

昨夜のBBQ時に Weißbier を2本(1リットル)飲んだりして就寝したのは22時半頃だったのだが夜中にトイレに起きなかった。21時以後に水分をとらないというわたしの流儀はあまり効果が無いのかな?

今日は朝から小雨。気温もグッと下がっている。週末はヨハナを中心にわが家が回っているようで、彼女の状況を見ながらの朝食となった。義母を迎えに行くのもいつもよりちょっと遅い10時過ぎ。アンナも朝食に加わったので7人で卓を囲む。

義母と介護婦さんを12時半頃に送っていく。ユリア一家は午後からミュンヘンの知人宅に立ち寄ってから Regensburg に帰るとかで午後3時頃に引き上げていった。

それからサッと家の中に掃除機をかける。人の出入りが多いと自然と家の中も散らかるものだ。

ブリギッテがカローラ宅に届けるものがあるというのでわたしが運転して往復した。カローラは現在マイスター試験の真っ最中でちょっと神経質になっている。

ブリギッテは明日大腸の内視鏡検査を受けることになっていて、帰宅してから規定の下剤を服用し始めた。わたしも2度ほど内視鏡検査を受けているが、あの大量の水分を飲むのはあまり嬉しいものではない。

iTunes でレンタルしたままになっていた映画を一本、ゆっくりと観た。荒唐無稽な内容の映画であとには何も残らず。

ドイツに住んで40年が過ぎた

昨夜はカローラ夫妻を除く家族6人でBBQの卓を囲んだ。乾杯の時にブリギッテが40周年を祝って!、と音頭をとってくれた。その前の日に彼女には 「明日はドイツに渡ってきて40年の記念日だよ」と話していたのだが、昨日は忙しさに紛れてすっかり忘れていた。

40年前のあの日(1977年6月24日)がなかったらここにいる家族は存在しなかったわけで、それを思うとなんとも感慨深い。人間の運命なんて本当に一寸先は闇だと思う。

このスタンプをあらためて眺めて見ると出国は羽田となっている。この1年か2年後には羽田はもう国際空港ではなくなってつい数年前までは成田空港がその位置を継いでいた。

ロータリークラブの奨学金をいただいて、1年間ドイツで自分の歌を見直すだけのつもりだったのに。そして、本当はイタリアに行きたかったのに。

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40年前の日本とヨーロッパ間の距離はとても大きく、ヨーロッパは心も身体もスパッと断ち切ることの出来た文字通りの別世界だった。自分を客観的に見直すことは物理的に簡単だったが、辛く寂しいことも多かった。

現在はインターネットがあって、地球上の何処へ行ってもそれまでの人間関係がついて回るから、日本にいた頃の自分を捨てること、精神の再起動は難しくなっている。

こうしてみると40年という歳月はやはり膨大な時間である。