明日8月15日は日本の敗戦記念日。ドイツが降伏したのはそれよりも早い5月始めのことだった。70年前の出来事である。
もう何年もわが家の前を走る道路の向こうに拡がっている森をウォーキングしている。最初の数年間は気がつかなかったのだが、ブリギッテの叔父さんが森の真ん中を走っているアスファルト道路の向こう側に小高い丘があることを教えてくれた。そこは Perlacher Mugl(ペルラッハー・ムーグル)と呼ばれている。
ミュンヘン市とその周辺はそのほとんどが平地であって東京のように坂の多い町ではない。だから自転車で走るのにはとても適した街。わたしのウォーキングコースでも丘と呼べるのはここだけ。
その叔父さんが説明してくれたところによるとこの丘は第二次世界大戦の時に、防空壕を掘ったときに出た土を盛ったものだそうだ。
意識してミュンヘン市内を見てみるとちょっとしたところに小高い丘があって現在は公園のようになっているところが何カ所かある。これらのほとんどが防空壕を作ったときに出た土を盛った場所らしい。
わたしの故郷である炭鉱町には「ズリ山」というのがあった。これは地中から掘り出した石炭を選鉱した後の土の山である。違うのは戦争という悲惨さから生み出されたものと経済の繁栄から生み出されたものという差だ。
ある天気の良い朝にわたしはこの Perlacher Mugl に登ってみた。戦争終結から70年経つと頂上までの道は緑に包まれて柔らかな自然そのものである。
そして頂上に立つとそこには展望台があった。
そこに立つと空気が澄んで視界が良ければ遙かにアルプスが見える筈である。
おそらく現在ミュンヘンに住む多くの人は、この緑に包まれた丘を見て戦時のことに思いを馳せることは無いだろう。誰かに教えられてそれを知ったとしても「ああ、そうなんですか」で済んでしまうにちがいない。
わたし自身が敗戦の二年後に生まれたから戦争は体験していない。そんなわたしが偉そうに戦争の悲惨さを語る資格はない。幼児体験として憶えているのは周りの皆が貧しかったこと、でもどこか明るさと活気に満ちていたことだけ。
この丘を見てもその土の量の多さから観念的にその当時の恐怖と悲惨さを想像するしかない。
時間の流れというものはそういう事なのだ。もしかするとそれで良いのかもしれない。
ウ~ン、そう言われてみるとどこか歴史的にウラがありげな風景に見えてくるから不思議です。
帰国した時、叔父が「自分は戦争には行かなかったが、学童疎開でいじめられた記憶はある。もう戦争直接知ってる人は減るばかりだからなぁ」とか言ってましたが、歴史の忘却も歴史の一部として歴史に吸収されていくのが現実ですね。
忘れてよいこともあるでしょうが、忘れない方がよいこともありますね。
歴史は人間が生み出すものであると同時に、生み出される矢先から人間の手から抜け出していくものだから、歴史と関わるのは厄介です。
仏のある歴史哲学研究者が「歴史の記憶を保つのは一部の人が言うにように『義務』なのではない。自発的な『課題』だ」とか言ってましたが、確かにそうかもです。
歴史哲学者の言葉には大いに納得がいきますね。わたしは「義務」と言われた途端に忘れたくなります。