E-Bike 購入とオペラ「ユダヤの女}

6月30日(木)・曇りのち雨/最高気温24度

8時起床。
いつになく遅い起床。一度5時過ぎに起きて二度寝したせいか妙な夢を観てしまい寝起き悪し。二度寝したときに見た夢ってどうしてあんなにはっきりと憶えているのだろうか。

ゆっくりと朝食をとったあと、ブリギッテに強引に誘われて買い物へ。その主目的は彼女が欲しがっていた電動アシスト自転車(こちらでは E-Bike と呼んでいる)。数日前からいろいろな資料を見て買う機種はほぼ決まっていたらしい。修理などの便利さも考えて我が家からそれほど遠くない自転車屋で購入することにした。わたしも勧められたけれど、わたしは歩きますからと断った。(^_^)

そのあと家庭用品などを買って帰宅。今夜は Nationaltheater でのオペラ La Juive(ユダヤの女) を観ることになっていたので体力温存のために昼寝。

LA JUIVE(Inhalt)

LA JUIVE

このオペラはテノールの有名なアリアがあるので名前だけは知っていたが上演に接したのは初めて。というのも1933年にナチスが上演を禁止してから戦後になっても忘れられていたオペラだったせいらしい。ドイツでは1988年に北ドイツのビーレフェルト(Bielefeld)で上演されたのが戦後初めてということだ。

何故ナチスが上演禁止にしたのかだが、作曲家のアレビがユダヤ人だったこともあるだろうけれど、その内容がユダヤ教とカトリック教の確執を下敷きにした悲恋物語だったせいもあるだろう。

今夜もまたわたしは人類史における多くの争いの原因となっている宗教に思いを馳せることになった。ブリギッテには「日本のように八百万の神々の存在を受容した方が争いは少なくなる」と言って笑われた。

今回の演出はカトリック教会における神父の子供たちへの性的虐待の件も明らかに提示していていて興味深かった。ドイツにおいては、同性愛者の多くがその原因をカトリック神父からの性的虐待に起因しているというのは定説になっている。

帰りは路面電車の乗り換えもスムーズに済んで早い帰宅だったのだが、最後に雨に降られた。

E-Bike 購入とオペラ「ユダヤの女}」への2件のフィードバック

  1. このオペラは音楽的にもストーリー的にもイデオロギー的にも大変面白い作品に思え私は好きです。
    今回のミュンヘン上演はアラーニャの役デビューということもあってパリのファンの間でも注目されていて、私の周りの常連たちも数人ミュンヘンに出掛けてます。
    アラーニャは頑張って大抵カットされるカバレッタも歌ったみたいですけど、はずしちゃったとか。
    戦後ドイツでの上演が88年というのにはちょっと驚きました。
    私は07年にパリでと昨年春にニースで見たことがあります。
    パリ上演は10回打って2700席のバスティーユが毎回ほぼ満席でした。
    両上演ともやはりズタズタにカットが入っていましたが。

    ユダヤ人のアレヴィが曲付けたにもかかわらず、台本はカトリック側とユダヤ側双方の不寛容を告発する内容になってるのが分かりずらいと言うか面白いです。
    ただそれはスクリーブ台本の仏グラントペラにしばしば見られる特質で、革命の落とし子であると同時に急進派に警戒な反動性も強く持っていた7月王制、第2帝政下の仏社会の思潮を反映してるように思います。

    マーラーは19世紀末でもヴィーン宮廷歌劇場監督の地位を得やすくするためにカトリックに改宗してますけど、仏革命でユダヤ人解放をいち早く実現したフランスでは、1830年代でもユダヤ人が公職に就くのには形式的にも実質的にもまったく問題がなかったそうで、アレヴィも生涯改宗しないまま、コンセルバトワール教授になり、学士院のアカデミー会員にさえ選ばれてますね。墓もモンマルトル墓地のユダヤ人区にあります。

    >「日本のように八百万の神々の存在を受容した方が争いは少なくなる」

    確かに一神教の方がどうしても不寛容性が高いし、歴史的にも紛争をはるかに多く引き起こしてきたのは事実だと思います。
    歴史上も仏教が暴力的紛争を起こした例は少ないですから、近年世界の仏教関係者が「仏教は平和の宗教」とアピールしたりもしてましたが、最近のビルマでの仏教徒によるイスラム教徒襲撃でやや否定された形ですね。原則を再確認させる例外と思いたいですが。

    仏でも今リヨン司教区が神父による性的虐待を事実上座視していた疑惑で大揺れに揺れてます。

    • このオペラはわたしも内容を知らなかったので前もって調べて行きましたがそれは正解でした。そうでなかったら理解が困難な部分も多く有ったはずです。ヒットラー政権下のナチスがこのオペラを受け入れなかったというのも理解できます。

      21世紀に生きるわたしにとっては、キリスト教が祝日に働かないという戒を破ったユダヤ教徒を死刑にするなんて理解の外ですが、そんなに遠い昔ではないのですね。

      幕が開いてすぐの場面で合唱が全員目隠しをしていたのは、カトリック教会が神父のユダヤ人への性的虐待を座視していたという事実を聴衆にアピールしたかった演出家の声だったのかな。

      アラーニャはさすがに一級品の声でした。最後の有名なアリア “Rachel, quand du Seigneur la grâce tutélaire” ではかなりバテている感じでしたが、あの場面での役作りだったのかもしれないと半信半疑でした。

      歌手に人を得ればもっと上演されるだろうと思われるオペラですが、聴いていて「ここはカットしてもいいんじゃないかな?」と思う部分は数カ所有りました。歌手への負担が大きいわりに訴えかけてくる力 が薄い部分です w

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です