歴史に埋もれた偉大な日本人ソプラノ歌手 


そのソプラノの名前は喜波貞子さんという。オペラ歌手の端くれであるわたしも、実は、昨年の夏まで、この人の存在を知らなかった。ふとしたことから知り合った、オペラ好きの九州の女性に教えられたのだ。わたしが正直に知らないというと、この人はわたしに喜波貞子さんの写真や、「蝶は還らず」/松永伍一 著 という本を送ってくれた。 

驚くべき内容だった。明治時代の初めに「お雇い外国人」として来日したオランダ人医師を祖父に持つ、この女性は、17歳の時、単身イタリアのミラノに留学し、リスボンのグランド・オペラ・サンカルロ 座において「蝶々夫人」でデビュー大成功を治めたのち、ヨーロッパ各国で1742回「蝶々夫人」の舞台に立っている。これは尋常な数字ではない。わたしがミュンヘンの資料館で調べてみたら、ミュンヘンの劇場でも「蝶々夫人」を歌っていたことがわかった。(1938年12月30日)

このソプラノ歌手が日本には全く知られていなかったのは、やはり、戦争のことを抜きにしては考えられない。戦争がなかったなら、日本にも帰国して歌う機会もあっただろうし、戦争の時期が彼女の声の最盛期だったのだから。少し後に、CDに復刻された彼女の歌を送っていただいて、聴いてみた。驚いた。確かな技巧と、瑞々しい声は、その当時の彼女のオペラ歌手としてのすばらしさを伝えてくれる。

今年はプッチーニが作曲した「蝶々夫人」の100周年記念の年だそうだ。それにちなんで、わたしの知人の女性は、今、必死で走り回っている。「蝶々夫人」」をコンサート形式で行い、故郷に一度も帰ることがなかった素晴らしいソプラノ歌手の魂に応えたいというものである。来月、2004年3月26日に福岡で行われるそうである。このエントリを読んで興味を持たれた方は是非、お足をお運びください。なお、指揮はミュンヘンの劇場で、現在 Zubin Mehta 氏のアシスタントとして研鑽を積んでいるイタリア人のマッシミリアーノ・ムラーリ氏である。

詳しいことは下記のサイトをお読みください。

喜波貞子さんを偲ぶ会 福岡音楽文化協会主催
「オペラ マダム バタフライ」(演奏会形式)

 

Posted: 2004年02月19日 (木) at 23:06 




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