休暇5日目 5/7---ブダペスト3日目 


今日はブダ側の王宮の丘を訪れたあと、わたしの希望でセンテンドレへ。今日も穏やかな天候だったが、昨日よりは少し寒かった。 

7時起床。晴れ
起きてすぐに又地下のプールへ。少し泳ぎ、暖かいプールに漬かる。天国。(^_^)そのあと、スチーム風呂に入ったり、泡風呂に入ったり。小一時間楽しんで部屋に戻り、食堂へ。内容は、きのうとほとんど変わらないけれど、一、二品新しいものがあった。充分にお腹いっぱい食べて(ブリギッテの表現ではお昼の分まで)部屋に戻る。9時半。それからゆっくりと身支度を整えて今日の目的地などを下調べ。10時過ぎにホテルを出発。

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一度街の中心部まで出て、そこから、道行く人に尋ねて路面電車に乗りました。この電車はちょっと素敵だった。(^_^)


まず最初はブダ王宮、マーチャーシュ教会、漁夫の砦などがある王宮の丘へのぼる。途中数人の人に道を聞いたりして、いつもながらの私の旅行の仕方。とにかく、分からなかったら地元の人らしい人を捜して聞く。これがその国の人と接触できる点で、意外と面白い。笑顔で話しかけると、たいていの人は親切に教えてくれるし、わたしが理解できるできないにかかわらず、一生懸命話してくれる。この辺の建物はガイドブックには必ず載っているので、写真はパスします。(^_^;)

丘の上の建造物などは、ガイドブックに載っているものは見てみたが、そんなに面白くはなかった。今回は時間がなかったので、内部の詳しい観光はしなかったから、それもあるかもしれない。

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しかし、途中の「薬局博物館」というのは本当に小さいものだったが、けっこう面白くて旅のアクセントになった。入り口に座っていたおばあさんの一人が一緒に付いてきて、立派なドイツ語で説明してくれた。ふと、このおばあさんのこれまでの一生はどんなだったのだろうと、そちらの方に考えが行ってしまった。これだけ立派なドイツ語を話すということは、戦争前にドイツに住んでいたのだろうか。戦争を挟んで、共産主義の国に住まざるをえなくなり、そして今、ハンガリーは「ヨーロッパ共同体」の一員に組み込まれようとしている。これまでのこの女性の人生はきっと波瀾万丈だったに違いない。


王宮の丘を下ってから、お金をまた引き出すために昨日使った場所まで電車で戻る。また10,000 フォリント引き出す。そこから私の希望でセンテンドレ(Szentendre)迄行くことにする。

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そこは街の中心から電車に乗って40 分ぐらい。芸術家の住む村とガイドブックには書いてあったが、着いたところはみやげ物やの並ぶちいさな街でしかなかった。ちょっと期待外れ。訪れる時期が悪かったかもしれない。そこで、アンナへのお土産を(藍染めの小さな敷物)買って、ブリギッテはやっと気が落ち着いたようだ。帰途、ちょっとこぎれいなカフェでお菓子とココアを飲んでブリギッテは少し御機嫌。


帰りにまた切符を買おうとしたら、 374 フォリント請求された。ここに来る時買った切符は155フォリント だったので、おかしいじゃないかと抗議したが、話している途中で「ア〜ッ」と気がついた。どうやら、往路を我々は 地下鉄の分だけ払って、乗り換えてからここまでは只乗りしてきたものらしい。こういう状況になると、とたんに元気が出て相手とやりあう癖のあるブリギッテの袖を引いて交渉を中止させた。(^_^;) とんだやぶ蛇になるところだった。その前にも今日は、地下鉄乗車券 のコントロールが頻繁にあって、たまたま新しい切符を買ってスタンプを押した直後に調べられたりしていた。ブリギッテは「今日は私達に守護神がついているみたい」と言ったが本当だ。

夕方5時頃にホテルに戻り、すぐにプールへ。かなり混んでいて、ハンガリーのマフィアと我々が勝手に名付けた強面のするお兄さんグループもいたりしてちょっといつものようではなかったのが残念。しかし、温泉は充分に楽しんで、そのあと最後の夜だからと、今夜は外のレストランへ夕食に行く。そこでは、3人の楽団(バイオリン、コントラバス、アコーディオン)が奏でるオペレッタの甘いメロディーを聴きながらゆっくりと食事。ウェイターの男性も折り目正しく親切で、流暢なドイツ語を話す。食事の値段はチップを入れて6200フォリント(約25ユーロ)。このクラスの食事をミュンヘンでしたら、確実に2倍はすると思われる。22時少し前にホテルに戻ってから、明日の出発時間が早いので、鞄をつめる作業。これはブリギッテに任せた。明日の準備を終わって23時過ぎに就寝。 

Posted: 2004年03月13日 (土) at 11:44 




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