大事な友人の来訪 (^_^) 


曇りときどき雨 / 外気温15度
7時半起床。朝起きてカーテンを開けると今日もどうやら曇り空の一日のようだ。子供たちはまだ全員グッスリと眠っている。ブリギッテは例によって週末の大掃除を始める。わたしは Semmeln (丸いパン)を買いに Grünwald まで車を走らせる。ドイツ人も普通の日は灰色のパンとか黒パンとか食べているのだが、週末には Semmeln を食べるという習慣の人が多い。今日も8時半頃にパン屋に着いた時には長い列が出来ていた。日曜日の朝食用のパンを併せて買う人も多いので、観察していると、一人でけっこう大量のパンを買っている。わたしは普通のSemmeln を9個、白ゴマのまぶしてあるものを9個買って帰宅。半分は明日の朝食のために冷凍した。 

ブリギッテとユリアは昨日買い忘れたものがあるとかで、また町へ買い物に行った。ブリギッテがし残した掃除はわたしが代わってする。電気掃除機をかけるのだが、これがけっこう汗をかく仕事だった。

今日の午後はわたしの長年の友であるドイツ人男性がわれわれを訪問。すでに年金生活者になっている人でミュンヘンから50Kmほど北に行ったところにあるインゴルシュタット(Ingolstadt)に住んでいる。彼との出会いも全くの偶然だった。

わたしはドイツに来た1977年の夏、ミュンヘンから少し離れたところにあったゲーテ・インスティチュート(Goethe-Institute) で3ヶ月間ドイツ語の集中講義を受けたのだが、ある夏の午後その村にあるピザレストランに、やはり同時期に来ていた日本人女子学生と夕食を食べに入った。その日は天気の良い日で、庭にしつらえてあったテーブルはほとんど満席状態。グルッと周りを見回したら、あるテーブルに品の良い中年夫婦が座っていてそのテーブルだったらなんとかわれわれ2人分の席が作れそう。そこでわたしよりも遙かに頭が良くドイツ語の堪能だった美しい女子学生が、相席をしてもいいかと聞いてくれた。彼たちもアジア人の私たちが珍しかったのだろう、快く席を詰めてくれて食事の間もいろいろと話しかけてくれた。もっぱら同席の女子学生が相手を務めてくれて、わたしはただニコニコ、ニヤニヤと笑っていただけ。とにかく相手が何を言っているのかさっぱり聞き取れなかった。

そうするうちに彼たちも私たちのことが気に入ったのか、来週の週末にわが家に招待したい、と言いだした。まあ、何と親切なドイツ人たちだろう、とその時には嬉しくて住所を書いて貰ったり、われわれの電話番号などを渡したりしてその夜は分かれた。しかし、あとになって考えてみると、どうも軽はずみにオーケーしまったかのような後悔がある。これはわたしに同行した美人の女子学生目当ての誘拐とかの企みがあるのではないか、と疑いだしたらなんだか落ち着かなくなってしまった。

そうこうするうちに次の週末になってしまった。その間、彼たちからの連絡で、その日は親類のドイツ人男性も招待してあって、彼が車でわれわれをピックアップしてくれるという段取りになっていた。待ち合わせ場所に待っていると確かに車は来てドイツ人の若い男性が運転席から降りてくる。この男が何と1メートル95はあるかと思われるような大男で、もの凄いハンサム。その時に私たちがつけた彼のあだ名は「ヘラクレス」。目的地まで着くまでのわれわれはやはり心のどこかに「誘拐されるのではないか」という不安があった。どうも話がうますぎると思ったのである。

しばらく走って、当時彼たちが住んでいた Ingolstadt 手前の村 Wolnsach に着くと、先週ピザレストランで出会った中年の夫婦が待っていて歓待してくれた。彼たちの一人娘もいて、そこでやっとわれわれの彼たちに対する疑いも晴れ、そのあとは楽しい週末の午後となった。お話をするうちに「ヘラクレス」の職業はルフトハンザの管制官だということもわかって、一安心。庭に自前のプールもあって、ときどきそこで泳いだりしてまことに絵に描いたような、わたしが想像していたようなヨーロッパの週末だった。(^_^)

それ以来、何度か彼たちに招待されることがあり、彼たちがミュンヘンに出てきた時には一緒に食事をしたりして友好が深まっていった。残念ながらその時に同行してくれた美人の日本人女子学生は留学の期限が来て日本へ戻っていったが、そのあとも彼たち夫婦とわたし個人との繋がりは続いた。

それから数年後にわたしもミュンヘンの今の劇場の研究生になり、わずかではあるが月給がもらえるようになった。当然のことに税務署からは「申告するように」との通知がきたが、わたしには何の事やらさっぱりわからない。今だって税金申告のことは全くわかっていないのです。(-_-;) ある時彼と話していてその話題になったら、彼がニヤッと笑って「わたしがやって上げるから、君は領収書類を集めておくだけでいいよ」と言う。「君はわたしの職業を知らなかったのか。わたしは税理士なんだよ」ということで、一件落着。それ以来、何年もの間、彼は無料でわたしの税務署への書類を作ってくれました。これは、ブリギッテが税理士補の資格を取るまで続きます。

ブリギッテと知り合った時にも彼たち夫婦はとても喜んでくれて、私たちが結婚した時には教会での式の証人 (Trauzeuge) になってくれました。残念なのは、彼たち夫婦がその数年後に突然離婚してしまったこと。夫婦間のことは外部のものにはうかがい知れませんが、私たちにとってショックだったことは確かです。現在は、別れた奥さんの方ともたまに連絡は取り合ったりしていますが、彼との付き合いの方がどうしても多くなっています。

彼も数年前に年金生活に入り、実に悠々自適の生活をしていますが、先週電話をくれて今日の訪問となりました。今晩は泊まって貰って心おきなくいろいろな話をするのが楽しみです。残念ながら天気が悪くて予定していたバーベキューは無理なようです。(^_^;)

午後3時頃の訪問を予定していたのですが、途中、渋滞にあったとかで5時近くの到着。用意してあったカローラの焼いたアプリコーゼのケーキで紅茶を飲みながら、積もる話に花が咲きました。夕食は、ブリギッテが鮭の半身を使い、細かく切った野菜(セロリ、人参、トウモロコシ、ツッキーニなど)を上に乗せ、アルミ箔で包みオーブンで焼いたものがメイン。前菜のスープは何と Fabian の作ったトマト・スープでした。最初は、大丈夫かなと思って不安でしたが、これがなかなか。出来上がったスープも結構おいしいものでこれは驚きでした。9歳児の作ったスープは初めての経験です。デザートはラズベリー・クリームでした。

食事が終わったあとは「神経衰弱」のゲーム。このゲームは子供の方が圧倒的に記憶力が良くて強いので、 Fabian とカローラは一人で、わたしとブリギッテ、それに知人は3人で1チームという事で始まりました。結果は小差で年寄り3人組の勝ち。カローラの悔しがること。食後の腹ごなしにと3人でそれからちょっとした近所の散歩に出て、30分くらい新鮮な空気を吸い、11時半の就寝。




 

Posted: 2004年08月14日 (土) at 23:28 




1年前の今日は? 2年前の今日は?