病院の半日にわたる診察で休日も台無し 


晴れ / 外気温マイナス3度
7時半起床。今日は合唱の休日なのでゆったりと起床。ブリギッテが昼食にピザを作ってくれたのでわたしは台所仕事からも解放された。しかし、さあ、何をしようかなという楽しい期待もその1時間後にはあっと言う間につぶれてしまった。 

カローラとアンナの部屋の模様替えを大分前からしていたのだが、要らなくなった古い戸棚などをとりあえずユリアの部屋に溜めておいた。1人で持つのはちょっと大変なのでとにかく車の中に積むだけはしておこうと思い、ブリギッテと2人で引っ越し仕事のようなことをした。その時、急に下腹に痛みが走る。そんなに重いものを持ったわけでもないのに妙だな、とは思ったが時間がたてば直るだろうと軽い気持だった。

午前中にどうしても銀行に行く用事があったのでお天気も良さそうだから歩いていこうと思って家を出る。歩いているうちに下腹の痛みは治るだろうと考えたのだ。ところが往復1時間の道のりを歩いて家に戻ったあとも下腹の痛みは変わらず続いていて、左側はどうやら良くなったかなと思ったが右側が相変わらず痛む。仕事先のブリギッテに電話すると「すぐに医者へ行きなさい」と言うので家を出た。

家を出るときに思いついたのは痛みのある場所はちょうど盲腸炎の時に痛む箇所である。気のせいかちょっと熱もあるようだからこれはてっきり盲腸炎だと思い込んだ。それなら手術は免れないだろうから、普通の医者へ行くよりは真っ直ぐに大きな病院へ行った方が良いと考えてわが家からひと駅のところにある Krankenhaus Harlaching の救急病棟へと駆け込んだ。

わたしが痛む箇所を教えて盲腸炎ではないかと思うと告げると、腕に太い注射針を入れられて何本かの試験管に血液を採取された。その検査が終わるまでの時間を Ultraschallー超音波(肌に冷たいゲルを塗りたくられてマウスのようなものでグリグリと透析される奴)での診察に向けられる。これがとても長い時間掛かってなかなか結果が出ない。医者が少し首をかしげて「もっと良い機械で診てみたいから外で待っていて欲しい」と言うので診察室の前の廊下にある椅子に座って待った。心配しているといけないと思いここからブリギッテに電話を入れ、それまでの経過を報告する。

すると彼女は「あなた、昨夜、本が一杯入った重いダンボールをわたしと一緒に3個運んでフウフウ言ったことを医者に説明した?」と言う。ああ、そうだったなぁと思い出した。ブリギッテはそれが原因であると睨んでいたらしい。で、再び検査室に入ったときに医者にそのことを告げると「なるほど、納得!」という顔だった。それから鼠径ヘルニアー脱腸(Leistenbruch)の触診をして異常なしとなり、もう一度救急病棟へと戻る。最後にその医者がわたしに言った言葉。「そういう力仕事はあなたの奥さん1人に任せたほうがいいですよ」どうしてブリギッテの方が力持ちだと知ってるんだ。(^_^;)

届いていた血液検査の結果も内臓が炎症している兆候は見受けられないということで解放された。結果は腹筋の肉離れであろうから時間がたてば直るということでわたしも一安心。しかし、午後はまったくつぶれてしまった。まだ痛みがあって歩くのが困難な状態なので、明朝の様子を見て一日の病欠を届けるつもりである。

お腹の周りに塗りたくられた気持ちの悪いゲルを早く洗い流したかったので、帰宅してからお風呂をたてて冷えた身体を温める。夕方7時頃にブリギッテも帰宅。彼女は病院の診察に半日かかったことを怒っていた。「そんなにのんびりした仕事をしてるから医療代が高くなるのよ!」というのが彼女の持論なのである。(^_^;) わたしは、やはり半日動揺していたので今日は疲れた。早寝しよう。  

Posted: 2006年01月23日 (月) at 21:48 




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