トラックバック企画第2弾「酒」その3/ 最後で最悪の失敗談 


ドイツに来てから、2度目の、前後不覚体験は1983年のこと。この当時、わたしはデンマーク国境近くの Flensburug という小さな街のオペラ劇場でソロ歌手として歌っていました。住んでいたのは Flensburg の街から10Kmほど離れた小さな村でした。一度、ドイツの村に住んでみたかったのです。(長文です) 

その年の夏の初め、北欧を旅行するブリギッテの親類の学生がわが家に泊まりました。ミュンヘンから車を走らせてきて、わが家で一泊し次の朝早く旅立つ計画でした。折悪しく、その日は2歳になろうとしていた長女のアンナが病気で苦しいのか時々泣いて寝付きません。その夜に限って、どこかでパーティでもしているのか、スピーカーから流れてくるかなり大きな音楽が聞こえていました。そしてこれが0時を過ぎても、1時を過ぎても鳴りやみません。

ブリギッテはアンナの鳴き声で神経が参っているところへ、早朝出発する親類の学生の睡眠に気を遣うあまり、ついに我慢できず警察に通報しました。その15分あとぐらいに音楽はピタリと止み、その夜はそれで終わりました。
 
しかしその事件後、村の人達のわたしら夫婦を見る目つきがどうも妙なのです。ある日、パンを買いに村に一件だけあるパン屋へ行ったら、その主人がわたしに「いつまでもこんな気持で顔を合わせるのも嫌だからこの際言ってしまうけど、俺は25年この村に住んでいるが、警察から電話を貰ったのは初めての経験だよ」とボソッと打ち明けてくれました。そうか、やっぱりあの電話の件で気分を悪くしていたのだ、とわかり、われわれのその時の事情も説明しました。それ以後は彼たちとの関係も改善しましたが、全てを水に流したように、とまではいきません。

そうするうちに、ある週末、われわれの住んでいた近くの広場で CDU (ドイツ2大政党のひとつ)の主催する夏祭りが行われることになりました。この村はどうやら CDU の地盤らしい。CDU 支持者も SPD 支持者も関係なく、ほとんどの村人たちが集まり、大きな焚き火が用意されていて(夏でも日が落ちると序々に寒くなります)そのそばには板で作った大きなダンス用のフロアーが作られています。もちろん大きな樽に入った生ビールは欠かせません。ちなみに、北ドイツで作られるビールはミュンヘンのビールと比べるとアルコール度が少し高いのが普通です。焚き火の廻りには村の消防団が万一に備えて消防自動車を待機させています。

わたしもブリギッテと2人でその祭りの様子を見に出掛けました。村の人達と挨拶して一緒にビールを飲み始めたけれども、どうも、よそよそしさが感じられる。ブリギッテも同じ感触らしかったが、ここからがブリギッテらしい発想です。
「あなた、村人たちとの関係改善に、ここに来ている奥さんたちとダンスををしたらどうかしら」
「え〜っ、でもずいぶん数が多いけど
大丈夫よ、全員と踊って
ウ〜ン、わかったよ、やってみる
というような感じで始めました。

わたしもダンスは大好きな方ですから、次第に興が乗ってきて次々にパートナーを替え、「Darf ich bitten? 」の連続です。ときどき休んでは無料の生ビールを飲み、また違った奥さんと踊るということの繰り返し。ダンスをすれば当然のように汗もかくし、喉も渇きます。で、その時に初めて体験したのですが、この村の男たちはポケットに小さな小瓶を数本入れていて、ビールを飲む合間にそれをキュッとあおっています。おまえもやれ、という感じでそれを奨められました。

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これは Kümmerling という名前でかなりアルコール度の高いもの。味は甘さと苦さが入り交じった感じ。汗をかいて渇いた喉の状況で飲むと、これが口当たりがよくて「うまい!」。そのあとも「ダンス」ー「ビールと Kümmerling 」を繰り返しているうちにパタッと記憶がなくなりました。(-_-;)

これはブリギッテが次の日に説明してくれた話です。もうへべれけになりながらも、村の消防団の人達との会話もはずみ、わたしが「一度消防車に乗って天井の青いランプをグルグル回しながら走ってみたかったんだ」と言ったそうです。彼たちも興に乗って、「おお、それなら、おまえのその状態では自分の足で家に帰るのは無理みたいだから、われわれが送ってやるよ」となんと本当に青いランプ、グルグルで家まで送ってくれたのだそうです。サイレンまではさすがに鳴らさなかったようですが、こんな事も小さな村だから出来たことでしょう。

で、家まで送ってくれた消防団の人達に「さあ、家まで上がって飲み直そう」とわたしが強引に誘って家に引っ張り上げたそうです。改めてビールで乾杯したあと、わたしは「ちょっとトイレへ」と言って出たまま、トイレから戻ってこないので心配したブリギッテが見に来たら、トイレの床に横になり寝入ってしまっていたそうです。ブリギッテはそのあと、酔っぱらった初対面の消防団の男たちをもてなさなくてはならず、大変だったとか。わたしが次に目が覚めた時にはベットの中で、明け方近く。客人たちはとっくの昔に引き上げたあとでした。

ビールだけではなく Kümmerling も入っての二日酔いですからそのひどさも、それまでの中では最悪でした。とにかく次の日は日曜日だったのが幸いですが、寝床から頭が上がりません。ちょっと頭を動かすともの凄い痛みと不快感。とうとう終日ベットの中でうなっていました。自分がかけた電話で村人たちとの確執を招き、それを解決したのがわたしのダンスと社交でしたから、この時のブリギッテの介抱は本当に親身で優しかったです。(^_^)

さて、次の日の月曜日、村の郵便局まで手紙を出しに道路を歩いていた時、後からトラクターが『ドッ、ドッ、ドッ』と近づいてくるので道ばたに寄って待ってたら運転台の上から大きな声が降ってきました。『オ〜イ、日本人、生きてたか〜』と、こうです。わたしのぜんぜん知らない顔でしたが、彼もきっと、一昨夜のお祭りに来ていて、へべれけのわたしを見ていたのでしょう。映画「男は辛いよ」で寅さんが隣の工員さんたちに言う台詞「労働者諸君!元気で働いているか〜」の場面を思い出しました。(^_^;)

とにかくこの夜を境に、われわれ夫婦も完全にこの村に受け入れられたようで、そこを去るまでの2年間はとても楽しい想い出を一杯作ることが出来ました。酒は身を助ける?(^_^;) 

Posted: 2004年08月07日 (土) at 13:35 




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