急性肝炎のことKHOOさんのエントリ
を読んでいて、わたし自身が4年前に急性肝炎にかかったことを思い出した。わたしは幸いにもA型急性肝炎だった。それでも、なんとか仕事に復帰するまでに8ヶ月の月日を要した。
1999年8月1日に末娘のカローラを伴って、日本へ帰国した。この年、日本の夏は強烈な暑さで、東京の友人宅に2泊ご厄介になったのだが、ミュンヘンの涼しい気候から久しぶりに帰国した身には、日中はとても外を歩ける暑さではなかった。東京で友人知人に久しぶりに会う予定をこなしてから、福島県いわき市に住む姉のところへと旅だった。
しかし、このころから身体に異常を感じだした。その時には、慣れない、冷房の効いた部屋に閉じこもっていたので、夏風邪にやられたかな、というくらいの意識しかなかった。8月10日あたりから、高熱が出始めて、近くの医者に掛かることになる。ここで貰ってきた風邪薬を飲むといったんは熱が下がるのだが、数時間あとにはまた高熱に襲われるという繰り返しになって、大汗をかいてシーツやパジャマを何度も替える始末。姉夫婦には本当にお世話になってしまった。 そのうちに白目の部分が黄色くなってきたのを、ほかの人から指摘され、どうも普通の風邪ではないようだということになり、市内の病院で診察を受けることになる。しかし、運悪くお盆直前のことで、ほとんどの医者が休暇を取っているとのこと。そこで、つてをたどって、ある病院の院長先生に診察して貰うことになったのだが、彼はわたしを一目見るなり「急性肝炎ですね」と言われた。 さっそく血液検査をしたところ、肝機能を表す数値がGOT=2580(10~40) / GPT=4480(5~45) という数値が出た。括弧の中は健康な人の値。これには医者もビックリして、これはかなり危険な数字ですよ、ということで、そのあとは絶対安静。それからの日々は点滴に次ぐ点滴。この病気には治療薬というものはなく、自然に、自力で直すしかないそうである。 治癒は長くなるので、やはり自分の家で静養した方がよいということで、峠を越した9月の半ばに、ブリギッテがドイツから迎えに来てくれた。成田空港での移動は車椅子を使い、乗り換えの、バカでかいアムステルダム/スキポール空港では電気自動車で乗り換え便まで運んで貰う始末。とにかく、階段一段を昇るのが、もの凄く辛い。身体中の力が抜けてしまった感じといえばいいだろうか。 結局、翌年の3月までわたしの闘病生活は続いたのだが、不幸中の幸いだったのは、この病気、痛みがないということ。反面、一番こたえたのは、精神的な落ち込みだった。とにかく、頭髪を洗いたくてシャワーの下に立つのだが、それだけで息が上がってしまう。両腕を頭に持っていって、頭髪を洗う動作を2.3度しただけで、しばらく休憩しなくてはならないほど。今だから言えるが、その当時には、これという理由もなく、一人になった時に、何度も泣いた。この病気で一番怖いのは、この心の衰弱化ではないだろうか。 それから、わかったことは、自分がいなくても、職場はちゃんと機能しているということ。わたしも少なからず自分の力量に自負を持っていたが、そんなものは自分の独りよがり、思い上がりであるとわかった。人間一人の力なんて、高が知れたものなのである。とにかく、周りの人が温かく気を遣ってあげて、気長に治すしかない病気だと思う。 Posted: 2004年02月07日 (土) at 16:07
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