大事な人を失って 


昨日の日記にも書いたのだが、わたしの心の中でいつも暖かくそして厳しい目を感じさせてくれていた大事な人の死を知った。たまらなく寂しい。 

彼との出会いは NIFTY-Serve の「クラシック音楽フォーラム」。もう約10年ほど前になる。現在のように Internet が普及しているときではなかったから、音楽好き、オペラ好きの人達にミュンヘンのニュースを伝えたいと思ってそのフォーラムに参加したのだった。そのころのフォーラムというのはたいへん活発で毎日意見の交換がなされていた。その中でもひときわ目立っていたのがその人 LEUTNANT NIKI さんだった。これはもちろんハンドルネームであって彼の好きなオペレッタの中の登場人物の名前である。

彼の書くものは文章の一字一句がとても吟味されていて簡潔にして素晴らしい文章だったが、特筆すべきだったのは文章から漂ってくる彼の温かい人柄だった。1970 年代に仕事の関係でロンドン駐在。そのロンドン滞在中には足繁く音楽会、オペラに通っていたそうで、そのときの蓄積から来る耳の確かさ、演奏の本質を見抜く眼は本物を持っていらっしゃった方だった。何度も書くが、なによりも敬服させられたのは彼の書いたものの中には、いつも暖かみがあったということ。演奏評とか演奏記とかを書くときに人はえてして独りよがりになってしまい、意識してかそれとも無意識にかその文章の向こうには演奏した人がいるということを忘れがちである。演奏するものの端くれとして、彼の書かれた文章はそれを読むときにいつでもわたしを幸せにしてくれた。

彼がながねん勤めた仕事をリタイヤされてから自由が時間が取れるようになって、たびたびコンサート、オペラを聴くためにヨーロッパを訪れるようになっていた。ミュンヘンにも何度かおいで下さって、わが家を訪問してくださったこともある。たった数時間の間だったけれど、妻のブリギッテも彼の人となりに感銘を受けたようで「彼は LEUTNANT(少尉) なんかじゃなくて GENERAL(将軍)の風格を持ってるわね」という言葉にそれがよく現れている。それ以来彼のわが家での呼称はNIFTY-Serveを本拠に書いていられたから GENERAL NIFTY となった。

彼と知り合ったのは既に書いたようにNIFTY-Serve を通してだったが、ずいぶん後になって彼とは1977年9月16日にウィーンでニアミスをしていることが分かった。わたしはロータリ財団の奨学生として1977年の7月にミュンヘンに着いていたのだが、9月16日はロータリークラブの招待でウィーンにいたのである。わたしがオペラを勉強しに来ているということでその夜はオペラ劇場に招待してくれた。その夜の出し物は "Norma" 。開演時間が来て観客が全員客席に着いたときに黒服を着た男性が現れて「今夕、マリア・カラスがパリで亡くなりました。彼女に縁の深い "Norma" を今夜は彼女の死に捧げたいと思います。」と述べたときには会場に一瞬どよめきが起こり、つぎに誰からとなく立ち上がり全員での黙祷を捧げたのだった。その時同じ観客の中に彼もいたということを数年後に知って、またしても彼に特別の親密さを感じることになる。その彼がいなくなってしまった。

ひとつ気に掛かることは、彼がNIFTY-Serve のフォーラムに書き綴ってくれた文章のこと。ロンドン時代に聴かれたオペラ・音楽会の貴重で膨大な記録があのまま埋もれてしまうのはたいへん惜しい。わたしも何度か彼に「是非、本にしておいてください」と頼んだのだったがどうなったことか。あの記録を是非とも音楽好きの多くの人に読んで欲しいと思うのだが。


 

Posted: 2006年04月17日 (月) at 13:32 




1年前の今日は? 2年前の今日は?