『深い河』創作日記 /遠藤周作著(講談社文庫) 



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わたしはこの著者の書いたユーモア小説というのを読んだことがない、というより、この作家の本はあまり読んでいないと思う。この創作日記を読んでいても、本体の『深い河』という本をまだ読んでいないので、ちょっとわかりにくいところも多かった。約三分の2が『創作日記』であとの三分の一は後記/加藤宗哉、対談/三浦朱門 x 河合隼雄、解説/木崎さと子、そして『年譜』から構成されている文庫本。(2004年7月29日読了) 

「創作日記の」方は全体を通して暗い調子で一貫している。著者は若い時から病弱だった人で、この「創作日記」を書いたのは死の少し前だから、病気と闘いながら、遅々として進まぬ小説との毎日の葛藤で埋められている。「とに角一枚でもよい、書き出せば始まるのだ。それはわかっているのに。」という日記で始まっているが、これは誰でもそうなのだろう。わたしも、暗譜しなくてはならない曲を抱えた時には、とに角始まるまでが大変。なんだかんだと自分で理由を見つけては伸ばしに伸ばしてしまう。(-_-;) 

「創作日記」本文を読み終えたあと、なんだか消化不良のような感覚が残った。しかし、それがなんであるかはそのあとに続く対談/三浦朱門 x 河合隼雄 の項で解消。三浦朱門氏がこう言っている。
小説書きが日記を書くということは、わたしはどうもいかがわしいところがあると思っています。たしかに永井荷風は日記の書きぐせがありました。しかし遠藤の場合は、それまできちんと日記を付けていたわけではありませんね。そういう人間が日記を書いたということは、ちょっといかがわしいーーー下心というか、自分を見せびらかすようなところがあったと思うんです。

なるほど、作家というものは人間の心の奥底を、かなり冷めた目で見ているものだと感心。遠藤周作氏がいつか他の人に読まれる事を計算に入れてこの日記を書いておいたのは確実。「作家が書く日記で他人の目を意識していない日記など存在しない」ということか。

わたしにとって面白かったのは「年譜」だった。これを見ると、遠藤周作氏は若い時から病弱でそれとの戦いだったようだ。それにしては膨大な仕事量である。1992年(平成4年)6月13日(土)の日記にちょっと吉行淳之介氏のことが出てくる。
マリちゃん曰く、「淳ちゃんがもし死を覚悟して名作を書く人なら私、癌だと言うけれど、あの人は遠藤が羨ましい、あいつは書くことが好きなんだ。俺は書くことが辛くて溜まらないと言うの。だから癌だとは言えない」

そう、遠藤周作氏は書くことが好きな作家だったのだろう。その点では幸せな人だ。

この本を読むと、遠藤周作氏の代表作というのは「沈黙」と「侍」そして最後の「深い河」だろうと書いてある。私はまだこの3冊の中で「沈黙」しか読んだことがない。それも37年も前のこと。私が高専を卒業する1967年(昭和42年)の春、幼稚園の頃から好きだった同級生から記念にこの本を贈られた。表紙の裏には彼女の手で「5年間の感謝を込めて」と書いてあった。 

Posted: 2004年07月30日 (金) at 14:02 




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