海辺のカフカ 上・下巻/ 村上春樹著(新潮社) 


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今回は一気に読み終えてしまってから、そのあとすぐにまた読みかえしてみたくなった。上・下二巻の中にはわたしの内なるアンテナに響いてくる文章の数々が散りばめられていたような気がして、それをもう一度読んで確認したくなったのである。2度目はその箇所をメモしながら読み進めていった。 

これまで読んだ村上春樹氏の小説というのは、わたしにとって筋というものがそれほど重要な意味を持っていなかった。わたしはあまり空想力のないほうなので、なんだかどう理解したらよいのかわからないものもあった。今回の「海辺のカフカ」はその点、わたしでもきちんと筋を追っていけるところがあって推理小説を読み進めるのに似た心の高ぶりと期待を持つこともできた。

それでも村上春樹氏の本の本たるゆえんはそこかしこに散りばめられた仕掛けというか、わたしの心に引っかかってくる小さな文章の数々だった。登場人物を介して、断定的に彼の主張を聞かされているようなのだけれどそうとも言えないところがこの人の旨さかな。そんな箇所を読みながら「いや〜村上さん、そうおっしゃるけどそうじゃない場合もあるんではないですか?」というようなわたしの反駁を柔らかく受け止めてくれるような親しみが感じられて、だんだん彼の術中にはまっていってしまう。

田村カフカ君の15歳というのは少し出来すぎではないかなと思うが、ナカタさんとホシノ君のコンビの透き通った天井なしの善意との対比で随所で救われている。この2人の描写は、何度でも読みかえしてみたいほど清潔感が溢れていて、わたしに勇気を与えてくれる。佐伯さんという女性が出てくる場面ではわたしはいつの間にか Meryl Streep のたたずまいを頭の中に描いていた。(^_^) 大島さんというこの本の中でも大事なキーを演じる登場人物は、ときどき作者自身と重なっているようにわたしには感じた。わたしの心に触れた文章を下に記しておきます。個人的なものですので読み飛ばしてくださってけっこうです。(2月10日再読終了)
【上巻】
P.17
家を出る前に石けんを使って洗面所で手を洗い顔を洗う。爪を切り、耳の掃除をし、歯を磨く。時間をかけて、できるだけ身体を清潔にする。ある場合には清潔であるというのは何よりも大切なことなのだ。それから流し台の鏡に向かい〜
p.183
「でも人間はなにかに自分を付着させて生きていくものだよ」と大島さんは言う。「そうしないわけにはいかないんだ。君だって知らず知らずそうしているはずだ。ゲーテが言っているように世界の万物はメタファーだ」
p.190
「フランツ・シューベルトのピアノ…ソナタを完璧に演奏することは、世界でいちばんむずかしい作業のひとつだからさ。とくにこのニ長調のソナタはそうだ。とびっきりの難物なんだ。この作品のひとつかふたつの楽章だけを独立して取りあげれば、それをある程度完璧に弾けるピアニストはいる。しかし四つの楽章をならべ、統一性ということを念頭に置いて聴いてみると、僕の知る限り、満足のいく演奏はひとつとしてない。これまでに様々な名ピアニストがこの曲に挑んだけれど、そのどれもが目に見える欠陥を持っている。これならという演奏はいまだない。どうしてだとおもう?」途中略。「でもひとつだけ言えることがある。それはある種の不完全さを持った作品は不完全であるが故に人間の心を強く引きつけるー少なくともある種の人間の心を強く引きつける、ということだ。…」
質の良い稠密な不完全さは人の意識を刺激し、注意力を喚起してくれる。これしかないというような完璧な音楽と完璧な演奏を聴きながら運転をしたら、目を閉じてそのまま死んでしまいたくなるかもしれない。でも僕はニ長調のソナタに耳を傾け、そこに人の営みの限界を聞きとることになる。ある種の完全さは、不完全さの限りない集積によってしか具現できないのだと知ることになる。それは僕を励ましてくれる。言っていることはわかる?」
p.193
シューベルトは訓練によって理解出来る音楽なんだ。僕だって最初に聴いたときは退屈だった。君の歳ならそれは当然のことだ。でも今にきっとわかるようになる。この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものは大体において退屈なものだ。そういうものなんだ。僕の人生には退屈する余裕はあっても、飽きているような余裕はない。たいていの人はそのふたつを区別することができない。
p.247
人を殺す時のコツはだね、ナカタさん、躊躇しない事だ。巨大なる偏見を持って、速やかに断行するーそれが人を殺すコツだ。
p.262
一冊の本を最初から最後まで読みとおすよりは、重要だと思える部分を理解出来るまで何度もていねいに読みかえすことをこころがける。そういうふうに読んでいると、様々な種類の知識が次から次へと、僕の中に吸いこまれていくたしかな手ごたえのようなものがある。
p.266
「経験的なことを言うなら、人がなにかを強く求めるとき、それはまずやってこない。人がなにかを懸命に避けようとするとき、それは向こうから自然にやってくる。もちろんこれは一般論に過ぎないわけだけれどね」
p.280
「田村カフカくん、僕らの人生にはもう後戻りができないというポイントがある。それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないというポイントがある。そういうポイントが来たら良いことであれ悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。僕らはそんなふうに生きているんだ」
p.344
「場合によっては、救いがないということもある。しかしながらアイロニーが人を深め、大きくする。それがより高い次元の救いの入り口になる。そこに普遍的な希望を見いだすこともできる。だからこそギリシャ悲劇は今でも多くの人々に読まれ、芸術のひとつの元型となっているんだ。また繰りかえす事になるけれど、世界の万物はメタファーだ。誰もが実際に父親を殺し、母親と交わるわけではない。そうだね?つまり僕らはメタファーという装置をとおしてアイロニーを受け入れる。そして自らを深め広げる」
p.351
『夢の中で責任が始まる』、そうだね?」「イェーツの詩だ」と大島さんは言う。
「もちろんただの仮説だよ。それはよくわかっているさ。たぶん誰もこんなばかばかしい話は信じてくれないと思う。でも仮説に対する反証のないところに、科学の発展はないー父親いつもそう言っていた。仮説というのは頭脳の戦場なんだってね。口癖のようにそう言っていた。そして今のところ、その反証が僕にはひとつも思いつけないんだ」
p.378
大島さんはコーヒーのつくりかたを教えてくれる。グラインダーで豆を挽き、注ぎ口の細い特別なポットでお湯をしっかり沸騰させて、それを少し落ち着かせ、ペーパーフィルターを使って時間をかけてコーヒーを抽出していく。できあがったコーヒーに大島さんはほんの少しだけ、なにかのしるしのように砂糖を入れる。クリームは入れない。それがいちばんおいしいコーヒーの飲み方なのだと彼は主張する。…」
p.391
「しかし君が言うように、前向きな愛のために人が生き霊になる例だってあるかもしれない。僕はそれほど詳しくこの問題を追及したわけじゃないからね。それは起こりうるかもしれない。」と大島さんは言う。「愛というのは、世界を構築することだから、そこではどんなことだった起こりうるんだ」

【下巻】
p.6
青年はむしろナカタさんという人間そのものに好奇心を抱くようになった。ナカタさんのしゃべり方はたしかにかなりずれていたし、しゃべる内容はそれ以上にずれていた。しかしそのずれ方には、なにかしら人の心を引きつけるものがあった。彼はナカタさんという人間がこれからどこへ行って何をするのか知りたいと思った。
p.23
にもかかわらずその想いは、今まで君が現実に体験したどんな感情よりもはるかにリアルで、切ないものだ。そしてそこには出口がない。出口を見つけられる可能性すらない。君は時の迷宮の中に迷い込んでしまっている。なによりもいちばん大きな問題は、そこから出ていきたいという気持を君がまったく抱けないでいることだ。そうだね?
p.25
「そうとはかぎらない。象徴性と意味性とはべつのものだからね。彼女はおそらく意味や論理といった冗長な手続きをパスして、そこにあるべき正しい言葉を手に入れることができたんだ。宙を飛んでいる蝶々の羽をやさしくつまんで捕まえるみたいに、夢の中で言葉をとらえるんだ。芸術家とは、冗長性を回避する資格を持つ人々のことだ」
p.34
「でも時間というものがあるかぎり、誰もが結局は損なわれて姿を変えられていくのもじゃないかしら。遅かれ早かれ」
p.35
「わたしも15歳のころは、どこかべつの世界に行ってしまいたいといつも思っていた」と佐伯さんは微笑んで言う。(略)「でも15歳のときには、そういう場所が世界のどこかにきっとあるようにわたしには思えたの。そういうべつの世界に入るための入り口を、どこかで見つけることができるんじゃないかって」
p.54
「君、世の中にはねじれというものがある」
「はあ」
「君にはわからんだろうが、ねじれというものがあって、それでようやくこの世界に三次元的な奥行きが出てくるんだ。何もかもがまっすぐであってほしかったら、三角定規でできた世界に住んでおればよろしい」
p.66
「外殻と本質を逆に考えればーつまり外殻を本質だと考え、本質を外殻だと考えるようにすればー僕らの存在の意味みたいなものはひょっとしてもっとわかりやすくなるんじゃないかってね」
p.120
「誰もが恋をすることによって、自分自身の欠けた一部を探しているものだからさ。だから恋をしてしまっている相手について考えると、多少の差こそあれ、いつも哀しい気持になる。ずっと昔に失われてしまった懐かしい部屋に足を踏み入れたような気持になる。当然のことだ。そういう気持は君が発明したわけじゃない。だから特許の申請なんかはしないほうがいいよ」
p.125
彼女はエンジンをスタートさせ、それを停め、考え事をするようにしばらく間を置き、もう一度エンジンをかけ、駐車場から出て行った。エンジンを停めてからもう一度かけなおすまでの空白が、君をひどく哀しい気持にさせる。その空白は海からの霧のように君の心に入りこんでくる。長いあいだそれは君の心にとどまっている。そしてやがて君の一部になる。
p.153
「田村カフカ君、あるいは世の中のほとんどの人は自由なんて求めてはいないんだ。求めていると思いこんでいるだけだ。すべては幻想だ。もしほんとうに自由を与えられたりしたら、大抵の人間は困り果ててしまうよ。覚えておくといい。人々はじっさいには不自由が好きなんだ」
p.175
(ハイドン)彼がどれほど現実的で、愛想良く、謙虚かつ闊達な人間であったか。そしてそれと同時にどれほど静かな闇を自分の中に抱え込んだ複雑な人間であったか。
p.286
「実を申しますと、ナカタには思い出というものもひとつもありません。それといいますのも、ナカタは頭が悪いからです。思い出というのは、いったいどのようなものでありましょうか?」
佐伯さんは机の上に置いた自分の両手を見て、それからまたナカタさんの顔を見た。「思い出はあなたの身体を内側から温めてくれます。でもそれと同時にあなたの身体を内側から激しく切り裂いていきます」
p.323
人間にとってほんとうに大事なのは、ほんとうに重みを持つのは、きっと死に方のほうなんだな、と青年は考えた。死に方に較べたら生き方なんてたいしたことじゃないのかもしれない。とはいえやはり、人の死に方を決めるのは人の生き方であるはずだ。ナカタさんの死に顔を見ながら、青年はそんなことを考えるともなく考えた。
p.357
「だからさ、面倒くさいというのがホシノ君の人生のキーワードなんだ」と青年は石に説明した。「話がちょっと込み入ってくるとすぐにすたこらにげちまう。自慢じゃないが逃げ足だけは速い。だからこれまで、なにかを最後までとことんつきつめたということがないんだね。それがホシノ君の問題点だ」 

Posted: 2005年02月11日 (金) at 16:20 




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