交歓 / 倉橋由美子著(新潮文庫) 


(残念ながら、カバー、無し)
この作家、知らなかった。とても読み応えのある本で、受ける感じが随分変わっている。一言で言うと、無地でしっかりとした光沢のある絹織物に触れたような感じ。わたしは、この作品から色を連想できたのだが、それは底光りのするベージュがかった白。不思議な本だった。 

Internet で検索してみると1935年生まれでつい最近(2005年6月10日)に亡くなられたらしい。
これまで読んできた本に較べて受ける感じが違うというのは主人公が「佳子さん」という三人称の呼び方で書かれている事から来ているのかな、とも思う。強烈な個性の作者がいて、自分で作り上げた世界に自分で配した人々を遊ばせているという面白い設定。

いつでも、どんな場面でも、作家・倉橋由美子の個性と感性が顔を出す。「佳子さん」を通して、作家・倉橋由美子の放つ強烈なメッセージを感じる。それが不快かというと、そうではなく、わたしは感心するやら、同調して頷くやら、とにかく圧倒され続けたうちに読み終わった。小説の内容、筋に完全に没入出来ないという反面、小説を読んでいて、今回ほど、著者と一緒に精神行動をしていた本は始めてかもしれない。ある種の快感があった。

この著者の中国文学に関する知識も大変なものだというのは、各章ごとに付けられたタイトルでも伺えるが、漢詩というのも良いものだなという感慨を持った。「淡日微風」とか、「霜樹鏡天」とか、これらの4文字から受け取れる世界は人それぞれに違うはずで、わたしにはとても自由が感じられる。リズムかな?

この本の中には、書き留めておきたい部分がいっぱいあるのだが、ひとつだけ引用しておく。佳子さんと編集者の会話の形をとってはいるが、これはまさしく著者・倉橋由美子が放つ強烈な文壇批判だろう。
「超新星ですか。出てもまあ半世紀に一度くらいのものでしょう。今一生懸命かき集めているのは、せいぜいスターダストですな」
「宇宙塵ですか」と佳子さんも口元だけで笑った。「皆さんの意見では、どこが駄目で光らないんですか」
「星になって光ろうという志がないからでしょう。最初から自分は並の人間だと決めてかかっていて、並の小説の枠の中で人より少しいいもの、変わったものを書く、ということしか考えていない。それで凡庸さの中に居座って、じつに素直に書いている。この貧困さには耐えられない、とホランダーさんは言ってましたがね。」
「いつだったか、内藤さんもおっしゃっていましたね。近頃の文学青年、文学少女は文学的な育ちが悪い、いいものを余り食べていないらしい、贅沢を知らない、だから自分という材料を素直に出しさえすれば大人は喜んでくれる、という子供のレベルで書いている、お手本なしに平気で書いている、こういう文学的養分とも伝統の土壌とも関係のない作文は文学以前です、とか」
「あの方も筋金入りの古典主義者ですから」と嘉治さんは笑った

わたしのやっていることは文学とは違う畑だけれど「まいったなぁ、恐れ入りました」と思ってしまった。(2005年8月3日読了) 

Posted: 2005年08月04日 (木) at 11:54 




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