ねじまき鳥クロニクル・全3巻 / 村上春樹著(新潮社) 


第一部 泥棒カササギ編 / 第二部 予言する鳥編 / 第三部 鳥刺し男編
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この本もミュンヘンの JAPAN CLUB から借りてきた。そこには残念ながら1巻しか無くて、まあ、とにかく読んでみようと思ってページを開いた。ところが読み始めるとどんどんと引き込まれていく。さあ、困った。読み始めなければ良かったなぁと思いながら、先週のこと、劇場の食堂でこの文庫本を傍らに置いて軽い食事を摂っていた。そこへ同僚の若い日本人がやってきて、「あぁ、これ、僕も読みましたよ」と言う。「エッ、それじゃ、第2巻と3巻も持ってる?」と訊いたら「貸してあげます」という返事が返ってきた。良かった〜。これで心おきなく読み進めることが出来るとわかって、読み進むスピードがますます速くなってしまい、そのあとは各巻を殆ど1日で読み終えてしまった。

 

なんとも不思議な小説。これまでも村上春樹氏の本は数冊だけれど読んだことがあるが、この様な小説は初めて読んだような気がする。筋はあるような無いような、もしあったとしても余り重要でないような気がする。小さな見出しによって分けられた、一見繋がりがありそうな形に見えるけれども、それ自体で完結していると思われる各章の積み重ねで、いつの間にかこの本は文庫本で3冊、それも1巻よりは2巻、2巻よりは3巻とだんだん分厚くなっていく。全てを読み終わってみて、いったい村上春樹氏はこの本で何が書きたかったのだろうと、正直言って解らないでいる。まあ「解らなかった」というのもひとつの読後感だと開き直ってはいるから、今は無理に解ろうとしないことにする。(^_^;)

それでも3冊の文庫本という大冊を一気に読ませてしまう何かしらの力を持っているのは確か。それは何だろうと考えると、わたしが共感を持つことの出来る文体かな。何かしら彼の文体はとても素直にわたしの中に入ってくる。行間に込められた情感といったようなものを感じてしまうのだ。多くの人が彼の著作を指して、「村上ワールド」という言葉を使っているが、それはこの様なことなのかと、ボンヤリと思ったりする。

それと、この著作の裏に積み重ねられていて時々見え隠れする村上春樹氏の勉強ぶりはどうだろう。例えば第1巻で「カツラ」についての考察を「笠原メイ」という女の子に語らせているけれど、実にこの業界のことを調べていることに感心してしまう。きっと、こういう積み重ねから出てくる彼の文体だから、わたしを引き込む力を持っているのだろう。加えて小さなこと(だと思う)だけれど、この本のところどころに散りばめられた音楽の描写が、ちょっと読み疲れたかなと思う時点で上手いこと現れてきて、わたしの神経を癒してくれた。これももしかして計算済みのことなのかしら。

この本もドイツ語に訳されているけれど、ドイツ人はこの翻訳されたものを読んでわたしが感じた何かのように彼の文体から彼らなりの「何か」を感じ取れるものなのだろうか。もし、それが成功していると仮定するならば、その翻訳者の力量は大変なものだと敬服してしまう。わたしのドイツ語読解力で翻訳を読んだとしても、オリジナルな日本語で感じた最も重要なニュアンスはきっと得られないだろう。とにかく堪能しました。(2004年11月13日読了)

 

Posted: 2004年11月15日 (月) at 12:38 




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