男たちの好日 / 城山三郎 著(新潮文庫) 


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花野木新作という詩人が書いた、牧という人物の伝記という形をとっているこの本は、城山三郎氏の経済小説といわれる分野に属するのだろう。描かれている時は第一次世界大戦から第二次世界大戦あたりまで。外国の技術、資本に支配されていた日本の工業界黎明期を脇目もふらずに突っ走った男の物語。「日本の工業王」とか「産業王」とかいわれた人物として描かれているが、確かなモデルになった人物がいるのかもしれない。 

この本の138ページに、その頃(第一次世界大戦直後)の日本企業に置ける外国人の様子を描いた部分が出てくる。
するとおどろいたことに、副社長から技師に至るまで外人勢はすでに退勤していた。それぞれ送りの車が出たところ。全員に車がついている、という。時計を見ると、まだ三時五分過ぎである。
「外人どもに、何か急用が起こったのですか」
杉井が腹立たしそうにいうと、日本人の社長は弱々しくかぶりをふった。
「早退ではありません。いつも、そうなんです。外人の方たちは、十時に出社して、三時に帰ります。」「すると、働く時間は四時間少々。たいした特別扱いですな」
「はい…」
「休日はどうなんです」
「土曜日曜、それに、日本の祭日だけでなく、向こうの祭日も。その上、二年間に一ヶ月の特別休暇があります」
「…それに準じて、給与は安くしてあるんでしょうな」
そうあるべきだときめつけたのだが、電機会社社長の日本人は、また首を横に振り、
「…いいたくないことですが、逆です。同クラスの日本人の五倍から十倍とっています」
うんざりした口調でいった。よほど腹に据えかねている。それでも、資本は足りぬし、技術も教わらなくてはならない。辛抱を重ねてはいるが、自分が腐ってしまいそうという感じなのであろう。

ここを読んで、思い出したことがあった。わたしがドイツにロータリークラブ・奨学生としてやってきた時には、幸運にも、ビザのことから住居のことまで一切面度を見てくれた、非常に頼りになるドイツ人がいた。彼はある薬品販売会社を経営していて、パーティにも数回呼ばれたりしているうちに、自然と彼の会社の幹部の人達ともお話をする機会があった。

その一人に1990年頃に会った時「以前の(多分1960年頃のこと)日本での商売は、日本人が何でもいうことをきいてくれてやりやすかったが、最近は冷たいまでにビジネスライクになってしまって、やりにくい。とうとう、われわれの会社は日本から撤退しました。」とこぼしていたのを思い出した。その時のわたしは、彼には悪いけれど、心の中で日本の産業がそれだけ力をつけたことを喜んだのを憶えている。こういう感情は人によっても違うのでしょうが、日本を離れて長いことドイツに暮らしているわたしは、どうしても日本に肩入れしてしまいます。(12月10日読了) 

Posted: 2004年12月17日 (金) at 22:49 




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