灼光 ・神尾シリーズ II / 北方謙三 著(集英社) 


(残念ながら借りてきた本にカバーはありませんでした)
北方謙三氏の本は過去にも数冊読んでいる。今回はシリーズ II とIII しか無くて、もしかして、シリーズ I を読んでいないとわからないことがあるといやだな、と思いながら読み始めた。しかしそれも杞憂だったようで、すぐにその話に入っていくことが出来た。 

もう数十年前にわたしには一時、大藪晴彦氏の著作を好んで読んだ時期がある。でも、なんだか読んでいるのを誰かに知られるのは後ろめたいような、そんな記憶が残っている。十代後半のわたしにとっては彼の描く性描写が生々しすぎたからかもしれない。それと主人公が冷蔵庫から出して大量のハムやソーセージをむさぼり食う場面とかが、やけに新鮮だったのは、あの頃やはりそういう食べ物に飢えていたのかもしれない。(^_^;)

この本の主人公、神尾にもそれに似た男の雰囲気が全編にわたって感じられる。もちろん大藪晴彦氏の書いたような、陽性の荒々しいものとは違って、もう少し内省的で静的な主人公にはなっているが…。両方に共通しているのは、「男の美学」「男の生き方」へのこだわりだろうか。わたし自身がこれらの主人公とは全く違う世界に生きてるような「男の美学」のかけらもない男なので、彼たちはわたしにとって、まるでスーバーマンのような気がする。この神尾という主人公は10年間船乗りをしていて一等航海士になって、陸に上がったという設定になっていて「船乗り」というものに憧れていた時期のあったわたしには親しみを感じた。

中学校の2年生のとき、そろそろ自分の進路を決めなくてはならない頃になって、わたしは本気で「商船高校」ヘ進もうかと考えた時期があった。わたしのその時の成績では、進学高校に進むことにはなんの問題も無かったのだが、その先の大学進学となると、経済面での両親の負担を考えて、別の道をとらざるを得なかった。進学高校以外の道を模索していたわたしには「商船高校」という響きは明るい背景を伴ってその当時のわたしの心を支配していたのである。しかし中学3年生になる頃に急に視力が悪くなり眼鏡が必要となる。それで「船乗り」への道は諦めることになる。折良く、その時に学費のかからない5年制の国立高専というのが設立されるという話が出てきて、それに乗ったのだったが、それがどういうわけか今では歌うたい。人間、わからないものです。(^_^;)
明日から続いてシリーズ III を読んでみる。(2004年11月29日読了) 

Posted: 2004年11月29日 (月) at 22:02 




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