25回目の結婚記念日 


25年前の今日、われわれは結婚したのだった。その日は朝からもの凄い勢いで雨が降っていて、この雨がわれわれの将来をどのように暗示しているのだろうと考えていたのを思い出す。月並みな言葉だけれど、25年という歳月は思いのほか速かった。 

25年前の今日はそのころ住んでいた Gelsenkirchen という町の Standesamt に出向いての戸籍上の結婚式だった。この時には同じ劇場に勤めていた先輩の日本人夫婦に結婚立会人になっていただいただけの、ごく簡素なもの。教会での結婚式は5月9日にブリギッテの故郷 Oldenburg で行い、その時には友人知人を招いての普通のパーティとなった。この日は逆に朝から素晴らしい天気で、とても素敵な宴だった。

それから今日までの間には3人の娘たちも生まれたし、山あり谷ありの生活だったが、現在の状況にわたしは大きな不満はない。自分のこととなるとどうもうまく心情を表せないが、先日たまたま読んだ短編小説の中に心を惹かれる文章があったので、それを引用しておく。わたしの今の心境がここに書かれているままということではないが、そんなに遠くないものであることは確かだ。
宇乃と夫婦になったことを後悔したことはない。正月には深川の料理屋が重箱に詰めたものをはこんでくるが、その板前が「ここのお屋敷だけは気が張る」と言うほど料理がうまく、きれい好きでもあった。
気のきいたことは言わないし、琴も三味線もうまくない。退屈な女と思わなかったこともないが、今は宇乃のいない家を考えるとぞっとする。だから宇乃が妻でよかったとは、今はまだてれくさくて思いたくない。が、遠からずそう思うようになるだろう。宇乃が「来世も」というならば、うなずいてもいい。

小説新潮:2005年6月号、85ページより、
五月雨るるー慶次郎縁側日記 / 北原亜以子

で、一昨日、彼女の機嫌がよい時を見計らって訊いてみた。
「君が生まれ変わることがあったとして、またわたしを選ぶかい?」返事は「ウン」。「ほう、じゃあわたしもうなずかなくてはなるまい」と思ったら「ただ〜し」とあとが続いた。「来世では立場が逆であって欲しい」というので「ン?」と思ったら、「わたしがあなたになってあなたがわたしになるの、そして、わたしは Weißbier を飲んでのんびりしているそばであなたが料理やお掃除をするのよ」といってニヤッと笑った。どうもロマンチックな雰囲気が似合わない、来世でも一筋縄ではいかない女房殿のようだ。(^_^;) 

Posted: 2006年05月05日 (金) at 17:04 




1年前の今日は? 2年前の今日は?