ドナウの旅人(上・下)/ 宮本輝著(新潮文庫) 


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久々に宮本輝氏の本を読んだ。「ハイジ文庫」にはそろそろ宮本氏の小説が少なくなってきている。氏はわたしの好きな作家の1人になってしまっているので、温存しておいたのである。「おいしいものはあとから食べたい」ということ。以前「花の降る午後」のエントリ をアップしたときに葉兎さん が「ドナウの旅人」を推奨したコメントを付けてくれたのも憶えていた。「ハイジ文庫」より。 

上・下2巻の長編だが、今回も期待を裏切られることはなかった。文庫本の最後についている解説を読むとこの小説は昭和58年11月15日から昭和60年5月28日まで(約1年半の長さ!)朝日新聞に連載されたもので、宮本氏にとっては初めての新聞小説だったらしい。逆算してみると、この時期わたしは結婚して一年余り、ドイツに住んで6年目という頃。

多分、多くの人がこの作品を読んでいることだろうから話の筋は省略する。というより、登場人物も多いし、その人間関係なども多岐にわたっていてうまく説明できそうもない。これだけの長編を飽かずに読ませるのは優れたストーリー・テラーである宮本氏の力量である。とにかく、面白いから一度読んでご覧なさい、と逃げておこう。(^_^;)

話は日野麻沙子の50歳になる母親を追って飛行機の客となるところから始まっている。17歳年下の男と一緒にドナウ川を下る旅に出た母親を連れ戻しに出かけるのである。娘から見た50歳の母親というのはきっと歳をとった女性のように見えるのだろうし、母親というのは娘にとってはどこまで行っても母親なのかも知れない。しかし、わたしにはいつだって40~50歳の女性が一番美しく輝いて見えていた。これは現在のわたし自身が歳を取っているから、ということではなく20代、30代の若いときからそうだった。だから、わたしには「そんなに大騒ぎするほどの事件かな」という素朴な疑問が湧いた。

麻沙子がドイツに渡ってから、今度は彼女自身の恋が進展する。彼女は5年ほど前までフランクフルトで働いていてドイツ人男性の恋人がいた。日本への帰国のためにこの恋を諦めたという設定になっている。この設定は現在のこれほどまでに狭くなった世界を考えるとちょっと無理があるが昭和58年にはそれも違和感がなかったのかも知れない。しかし、この恋人の名前が凄い。ジークフリート・バス (Siegfried Bass ?) と発音してみてすぐにオペラを連想してしまった。(^_^;) Bass という姓はわたしはこれまでに聞いたことがないのでミュンヘン市の電話帳を引っ張り出してみた。見つかったのは8人だけだから、きわめて少ない姓だと思う。

フランクフルトを起点にして様々な登場人物を介しながら物語はドナウ川に沿って続いていく。そこに出てくるニュルンベルク、レーゲンスブルク、パッサウ、ウィーン、ブダペスト、ベオグラード、スリナ、などの町の描写がわたしには紀行文を読むようでとても面白かった。先に挙げた都市のうちわたしの行っていないのはベオグラード、とスリナで、その他の町にはわたしも想い出がある。自分の足を踏み入れた町が宮本氏の目にどう映ったかを小説の中から感じ取るのも、今回は楽しい作業だった。ドナウ川に沿ったバイエルンの小さな町は今でも美しい。

この本の中には多くの人物が登場してくるのだが、ヴェルトで出会った郵便配達夫の描写も印象に残った。数年前に Il Postino というイタリア映画を観たがそれを思い出したのである。あれも確か映画の中で郵便配達夫を演じた俳優がこの映画の完成のあと病で亡くなったのだった。調べてみるとこの映画は1995年制作ということなので、宮本氏のアイデアの方がずっと先だったということになる。

段々残りのページが少なくなってきて、これだけ多くの登場人物と事件があったあと、この小説の結末をどう付けるのかが興味深かったけれど、宮本氏は麻沙子の母親、絹子の突然の死(クモ膜下出血)で終わらせた。どこかで予想していなかったことではなかったが、これ以外の幕の引き方は多分無かっただろうと思う。しかし、何度でも書いてしまうけれど、うまいな〜。
(2006年2月初旬読了) 

Posted: 2006年02月21日 (火) at 12:15 




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