昨日は午後から夕方までお葬式にかかわっていたのだが、冷たい雨の降る寒い墓地でかなりの時間立ち尽くしていたり、そのあと場所を移しての長時間にわたるミサに参列したので、身体も心も疲れ果ててしまった。
雨の中の埋葬はよくあることだから仕方がないのだが、一番疲れたのはミサ。昨日のミサはプロテスタントのそれだったのだが、祈りの間に音楽が入るのはカトリックと変わらない。音楽家たちもちょっとひどかったのだが、加えて、神父の祈祷文を節をつけて歌う部分には参ってしまった。
神父たるもの、それが専門職であるのなら祈祷文をもう少しうまく歌う努力をしてくれないかと思ってしまう。あの調子で延々とミサをやられたらそれに参加している信者たちはきっと苦痛を感じるのでは無いか。無宗教のわたしにはそれを聞かされるのがとっても辛かったし、偉そうな顔をしてそれを続ける神父の人柄までが傲慢に思えて仕方なかった。
でも考えてみるとこれまで36年の間、ドイツで数え切れないほどのミサに参加しているけれど、努力しているなと思える声と抑揚を持った神父には5本の指で数えるほどしか出会っていない。聞き惚れるような声でミサを進行していったら参加している信者たちの信仰心も高揚されると思うのだが。
これまでで一番素晴らしかったのはローマのバチカンでラテン語で行われたミサ。この時は「この神父さん、オペラ歌手になってもいいんじゃないか」と思ったほど惚れ惚れと聴き入ってしまった。(笑)
でも、こんなわたしの不満はわたしが信者ではないということから来ているのかもしれない。幼少の頃からそんなものだと慣らされてきたら耳が麻痺してしまうのかも。信仰にはもっと大事なものがあると言われれば、無宗教のわたしは黙って引っ込むしかないのだが。