落日燃ゆ / 城山三郎著(新潮文庫) 


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「黄金の日々」のエントリ を書いたときに「落日燃ゆ」をもう一度読んでみたい、と書いたら東京の友人がご親切にも送ってくれた。感謝。(^_^) しばらく読む本が溜まっていたので、それを片づけてからゆっくり読み始めた。私が初めてこの本を読んだのは、20代後半の、まだ日本にいた時だった。 

その当時、この本を読んで、もの凄く感動したことは憶えている。だから「もう一度読んでみたい」と思っていたのだが、あれから20数年過ぎた今、読み返してみると全く違った読後感を持つことになった。

考えてみると、以前感動したのは、7人の絞首刑を受けた中でただ一人の文官であった、広田弘毅氏がなんの自己弁護もせずに従容として死についた点だった。私もこういう人間になりたいと思ったことを憶えている。しかし、今回読み直してみて、その時とは全く正反対の感想を持った。あの戦争裁判で彼が一度も証人台に立たず、絞首刑の判決を待ったのは間違いではなかったろうか。

私もドイツに住んでから24年になるが、一番痛感するのは、自分の考えは発言しなくてはならない、ということ。私も戦後すぐの教育を受けた人間だから、「沈黙は金なり」「男は言い訳をしてはいけない」というようなことを正しいことだとして成人した。しかし、ドイツ(西欧と言っても良いと思うのだが)に来て数年暮らしてみるとそれが疑問に感じられてくる。極端なことを言えば、「沈黙は罪」である。

あの裁判(と言えるかどうかも不確かな)を取り仕切ったのは殆ど西欧人達であった。城山氏の文を借りれば、それも2流、3流の法律家が多かったそうである。それならばなおのこと、広田弘毅氏は自分の行ってきたことを堂々と述べるべきではなかったろうか。彼の後に続く外交官達のためにも、彼の立派な、貴重な足跡を明確に記録に残しておくべきだった。こんな事を書いたら怒られるだろうが、彼の法廷における「だんまり」は彼の独りよがりにも思えてくる。

閑話休題。以前読んだときには全く記憶に残っていなかった「佐分利貞夫」氏のことにも触れてあって、「61年目の謀殺」 で読んだとおりの自殺現場の模様が描かれていた。広田氏が36歳の時、通商局第一課長に選ばれた頃には
「小村寿太郎・加藤高明の時代が終わると、幣原喜重郎・山座円次郎の時代が来る。さらにその次には、佐分利貞夫・広田弘毅の時代が来るだろう」

と言われた両者だったのですね。興味深く読みました。
「佐分利公使の変死は、日中関係の改善に尽くすことが、自殺にせよ他殺にせよ、外交官の身の上に暗い重大なかげを及ぼすことを示す象徴的な事件であった。」

とここでも書かれています。外交官にとっては難しい時代だったことがわかります。

とにかく、本というものは時々読み返してみるものだ、ということを今回は学びました。本が変わるわけがないので、自分の方が変わってきているのですが、自分の内部における変化というものを如実に示してくれます。そしてそれを解らせてくれるのは、良書の証です。(2004年11月3日読了)
 

Posted: 2004年11月03日 (水) at 18:08 




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