古い炊飯器で思い出したこと

2019年1月8日(火)

昨日、三月末までミュンヘン滞在中のご夫妻に使っていただこうと古い電気炊飯器をお渡しした。その前に1度動作確認のために2合のお米を炊いてみたのだが想像以上においしいご飯が出来たので一安心。

しかし、ひとつ欠点があった。この時期の電気炊飯器の内釜は今のようなフッ素樹脂ではなくてアルミのものだった。当然ながら炊き上がったご飯は内壁にこびりつく。

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炊いたご飯を冷凍するために袋に入れ替えたあと、アルミ製内釜に水を張ってしばらく放置したのだが、その時にフッと昔の記憶が蘇った。忘れないうちに書いておこう。

わたしが育った家には昔風の土間というものがあり、その一角に二つの口を持つ竈(かまど)が設えてあった。薪をくべて使う竈(かまど)である。「へっつい」と呼んでいたような気がする。

今から思うと重労働だが、母は毎朝そこに大きな釜をかけて薪でその日に食べるご飯を炊いていた。ご飯が炊き上がったらまだ火を持っている薪を囲炉裏に移し替えて、そこに炭を足し冬などは炬燵の火だねにするのだった。

で、釜で炊きあがったご飯は蒸らしたあと、木で作られた「おはち」に移される。ちなみにこれを書いていて最初は「おひつ」と書いてみたのだが、どうも記憶と違うような気がしてインターネットで調べてみた。

関西では白木で作られたものを「おひつ」と称し「おはち」というのは塗り物を施された容器のことらしい。しかし関東ではその区別がなく「おはち」と呼んでいたという。勉強になった。(笑)

話を戻そう。わたしが幼少の頃は釜で炊き上がったご飯はいったん「おはち」に移され、空になった釜には水を張ってしばらく置いておくのだった。するとこびりついていたご飯の粒は数時間後には簡単に内壁から離れる。

しかしこの時剥がれ落ちたご飯粒も決して無駄にはしなかった。それらを集めて天日で干し、別の器に溜めておくのである。

あの頃は定期的に「ポンせんべい屋」というのがリヤカーを引いて廻ってきた。その時にそれを出すとなにがしかの料金で煎餅状に焼いてくれたのだった。

上下に重ねた煎餅を作る小手のようなものを開く時に「ポンッ!」と音がするので「ポンせんべい」である。これはかすかに甘くてパリッとした歯触りがわたしたち子供にちょうど良いおやつとなった。

今の時代に「おひつ」「おはち」を使うことはなくなったけれどそれはテフロン加工された内釜の普及によるものだったのだ、ということをあらためて知った。時代の進歩、機器の発達はゆっくりと昔の不便だった頃の記憶を拭い去っていく。

2 thoughts on “古い炊飯器で思い出したこと

  1. ポンせんべいに加工する以外に「バクダン」というのもありましたね。今のポップコーンの粒の小さいので少し甘味をつけて、少しの干飯が凄く量が増えて小さな爆発音とともに出来上がった・・・のじゃなかったかしら?昔の地方には住宅地を回りながらのそのような商売も庶民の社会にはあったのですね。現在は焼き芋屋さんさへ住宅地には来ません。つい懐かしくて・・・。

    • 妙なことから昔のことが次々に思い出されて、昨日は感慨無量でした。これからも自分の中に埋もれている記憶を忘れないうちにその都度書きとめておきたいと思います。(^_^) 
      そうそう「バクダン」というのもありましたね。薄桃色がひな祭りのアラレのような感じでほんのりと甘かったです。あの甘味は「サッカリン」ではなかったかな?あの爆発音は子供にはかなりの音量でしたよ。ちょっと怖かったことを思い出します。

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