4月23日(火)・晴れのち曇り / 最高気温19度
7時起床。今日は朝からなんだか落ち着かない心境。今日は恩師の一周忌。葉山の海で「海洋散骨式」が行われる。今回はこれに参加するという目的で帰国したのだ。しかし今日までの天気はハラハラ、ドキドキの連続。帰国してから20日までの天気は本当に4月か、と言いたいくらいの寒さだったから。ようやく昨日は太陽の光を拝めたが風が結構あってそれが冷たい。今朝起きて部屋のカーテンを開けるまでは本当に心配だった。悪天候の時には順延ということだったが、わたしには後がなかった。
午前中は実に素晴らしい天気でこれなら100%挙行されるだろうと思ったが、7時半に一応確認の電話を入れて確約を取る。朝食はこのホテルの近くにある「すき屋」で食べることにした。昨日「吉野家」で¥280の牛丼を食べたときに朝食メニューというのがあることを知ったのだ。「吉野家」にあるのなら「すき屋」にもあるだろうという予想だ。
朝食メニューの内容と料金は「大戸屋」のそれと大差ない。しかしご飯は「すき屋」の方がおいしかった。1度ホテルに戻って再びベッドに入り1時間ほどウトウトとする。散骨式が実行されることが分かって安心したのと、舟の揺れに対して体調を整えておきたかった。
12時過ぎの京浜急行・根岸線に乗って横浜に近づくにつれ少し天候がおかしくなってきた。下り坂に向かっているようだ。横浜駅乗り換えで逗子駅についてみると友人とバッタリ。彼も今日の散骨式に参加するという。そこからタクシーで港湾管理事務所へと向かった。恩師の遺族の方たち、それにわたしの友人たちと久しぶりの再会。
午後3時にわたしたち8人を乗せて小さな舟は葉山港を出て沖の相模灘へと向かう。その時間は約20分ほど。折りからの南風に逆らって舟を走らせることになるので舟はかなり揺れる。しかし船酔いには誰もならなかった。目的地点についたので舟のエンジンを止め,遺族が持参してきた灰の入った袋を一人ずつ渡されて海に散骨した。亡くなられてから1年後という時間も手伝っているのだろうが、不思議に悲しみとか惜別の情といった湿った感情は湧いてこなかった。
そのあと用意されていた花びらを撒き、鐘を鳴らして全員が黙祷。そのあとまだ海面に浮いている花びらの周りを舟が3周して「海洋散骨式」は終了した。花びらは思っていた以上に長いあいだ海上に漂っていて、黙祷を終え鎮魂の鐘を鳴らしたあと舟がその場を去るときにもまだ名残を惜しむように赤や黄色や白の点となって揺れていた。聞くところによると山とか墓地での散骨という形もあるらしい。しかし、広々とした海というのはやはり格別である。原始の昔に生命が誕生したという海に働きを終えた命が帰っていくような気がして、どこか清々しい思いがする。
帰路は追い風ということで往路とは違うスピードと滑らかさ。無事に葉山港に戻りそこで記念撮影。夕食には少し早かったけれど港湾事務所の近くにあるレストランレストラン ラ・マーレ・ド・茶屋にて食事。精進落としという意味なのだろう。料理もサービスも満足のいくものだった。
夕方6時頃に解散してわたしは東京のホテルに戻った。中途半端な時間に食べたので夕食はどうしようか迷ったけれど、夜中に空腹で目が覚めるのも嫌だったからホテルの下の食品売り場で「おこわ」と「肉じゃが」を買って部屋で食べた。21時近くになるとこういう食品というのはほとんどが半額になっているのだった。(^_^)
明日は箱根へと向かう。天気の方は雨ということだ。
湿っぽそうな墓穴に納められるより、自然界への散骨の方が開放感がありそうでいいですね。
マリア・カラスもエーゲ海に散骨されましたね。本当に彼女の遺志だったのか自殺・他殺説まで絡んで議論もあるんだそうですが。
仏でも火葬希望者が増えてますが、まだ独よりも少ないようです。英・スイスなどでは半数を超えてますが。独でもやはりカトリック地域は土葬が多いようですね。
仏でも近年の法改正で散骨も可能になっています。地町村長の許可が要りますが、公道以外なら基本的に可能。
独はまだかなり規制が厳しいようですね。より自由なオランダでやるという抜け道もあるそうですが。
自分で実際に体験してみて,散骨というものに共感が持てました。
土葬というのは抵抗があるのでわたしの場合はせめて火葬にして欲しいと思っています。
まあ、死んでしまえばどうでも良いことのような気がしますが。(笑)