Kurt Moll のこと

ネットのニュースで Kurt Moll の訃報を知った。

Kurt Moll: Opernsänger von der Bayerischen Staatsoper ist tot – SPIEGEL ONLINE

78歳とまだ若かった。彼はわたしが1977年にドイツに来たころには既にバリバリの押しも押されぬバス歌手だった。絵に描いたようなオペラ歌手の体型と深く低く響く声の響きはこれぞバス歌手と言えるものだった。

わたしが Opernstudio に在籍していたころ(1979〜1981年)にはときどき声を掛けて貰ったことがある。今思い出すのは ” Die Meistersinger von Nürnberg “の舞台稽古の時。彼はちょうど日本での演奏旅行から戻ってきたばかりで,東京で買ってきたソニーのウォークマンを仲間の歌手に嬉しそうに見せびらかしていた。

もう一つの思い出は出演前の舞台の袖での会話。その数日前にアメリカでゲオルク・ショルティと共演して戻ってきた彼に「写真で見るショルティは厳しくて意地悪そうに見えるけれど、どうなんですか?」と聞いたら 「そんなことないよ、とってもやさしくて心の温かい指揮者だった」と答えてくれたこと。

その頃ちょい役で出させて貰ったオペラのプログラムを探して見つかったので記念に貼り付けておくことにする。(わたしの名前の下の線は当時出させて貰ってよほど嬉しかったんだろう。ちょっと恥ずかしい)

一つは「バラの騎士」

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そして「パレストリーナ」

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Kurt Moll のこと」への4件のフィードバック

  1. 両作品の演奏史に残る上演に参加されて貴重でしたね。
    今振り返るとサヴァリッシュとクライバーを擁していたこの頃のミュンヘンは戦後2番目の黄金時代だったかも知れません。
    ここ2-3年のミュンヘンもぺトレンコ、カウフマン、ハーテロス、斬新な演出を得て再び世界でも1・2を争う劇場に再浮上した印象を私は持っていますが。

    クライバーの「ばら」も、この時がビデオに残ったくらいで最高のキャンスティングでしたね。私がただ一度だけ見たのは83年6月でしたから、ベックマン、ファスベンダー、ドナート、ユングヴィルトといった面々でモルも篠の風さんも出てませんでした。

    モルも私が初めて実演に接したのはミュンヘンで82年末のザラストロでした。その後ポーグナー、マルケ、フンディング、騎士長、グレーミン、サヴァリッシュ指揮パリ管のベートーヴェンのミサソレなどをミュンヘン、ヴィーン、ザルツ、パリで聞きましたが、やはり82-83年の深いバスの迫力が圧倒的で、95年以降はさすがに声の威力が衰えた印象がありました。
    中々出てこない本物のバッソ・プロフォンドでしたが、フィリッポの独語録音があるそうで、一度イタリア物を聞いてみたかったです。

    • わたしは81年から85年まで地方の劇場でソロ活動をしていましたので83年にはミュンヘンにおりませんでした。
      モルのフィリッポというのはわたしも聴いてないのです。あの頃はギャウロフの全盛時代でもありましたからね。
      「運命の力」でのモルは同じ舞台で何度か経験しています。とても良かったですよ。

  2. クルト・モルさんもお亡くなりになりましたか。なんだか馴染みのある名前が消えていく。品格のあるバスでしたね…

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