2023年2月12日(日)
今回の旅に同行することは乗り気ではなかった。ブリギッテの叔母さんの90歳の誕生祝いにはブリギッテがひとりで出席すればよいことだと考えた。しかし Düsseldolf で日本食を食べようというブリギッテの投げた好餌につられて同行することになる。
昨年9月にも 文化を配慮した介護 DeJaK-Tomonokai e.V. の総会出席のために Düsseldolf は訪れていたのだが一泊しただけだったから観光する時間は取れなかった。リトル東京と言われたほど日本人訪問者が多く、日本人経営の店が多かった Immermannstraße を今回はゆっくりと歩いて見たかったのだ。
わたしの記憶は遠く40年ほど前の1980年代初頭のもの。テノール歌手として初めて契約した劇場がゲルゼンキルヒェン(Gelsenkirchen)という街で、そこは Düsseldolf からほど近いところにあり、劇場が休みの時には何度か友人の車に乗せて貰い Immermannstraße を訪れた。
そのころは緑の多い落ち着いた華やかな空気の大通りだったという記憶がある。大通りの中心には日本航空の経営する高級ホテル「ホテル・日航」があって今回わたしはそこへ宿をとった。しかしその建物は数ヶ月前から
Clayton Hotel Düsseldorf という名前に変わってしまっていた。
大通りを歩いてみると、わたしの記憶にあるものとはずいぶん異なっていて大いに落胆することになる。
まず歩道が鳩たちの糞でとても汚い。写真で見られる白い点々がそれ。驚いたことに歩道には粗大ゴミまでが置かれてそのままになっている。
Immermannstraße 昼間:
Immermannstraße 夜:
通りに沿って建ち並ぶ商店の数々は中国語の看板も多い雑多な印象。人気のあるラーメン店に列を作って待っている人たちの光景もわたしの記憶にはそぐわない。
ラーメン店前の行列:
これもグローバリゼーションによる日本企業の撤退によるものなのだろうか。「夏草や兵どもが夢の跡」という句が浮かんできた。