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2010年10月19日

「高専のこと」付記

先日、エントリ「高専のこと」をアップしたあと、再び級友からメールが届いた。 その中にはわたしが書き漏らした事実、思い違いをしていた点があったので訂正して付記しておきたい。50年前、一緒に学んだ級友達へのオマージュである。

約50年前のあのとき、競争率17倍という難関を突破して高専に入学したわれわれは学年が進んで2年生か3年生の初め頃、入学前の約束であった「大学編入への道」が無いとはっきり言われた。まだその道があると思われていた次の年の入学試験の倍率は20倍、3年目も高倍率であったが、「大学編入への道」が無いとわかってからは入学希望者が減少に転じていった。

そこで大学進学を志す人は 高専3年生修了時点で高卒と同資格で大学受験が出来るので、その時点で中途退学するか、5年間学んで卒業してから改めて受験するかの選択となった。

前者の道を選んだ級友の1人が、わたしとおなじ教室で学んでいた山内君だった。彼は高専を中途退学したあと大学に入り直し「源氏物語」を専攻して卒業。そのあと高校で教鞭を執ったが、その教師時代にある講座ではじめて「資本論」に接する。彼は経済理論を勉強したくて東大の経済学部に入り直し30歳で卒業(1977年)、大学院の博士課程修了はその7年後(1984年)、そして経済学博士号取得は2001年であった。

彼の精力的な仕事は下に列記した数冊の著書に明らかである。
1.「価値形態と生産価格」(八朔社)
2.古典へのいざない 『資本論』(学習の友社)
3.コメンタール資本論 貨幣・資本転化章(八朔社)
4.資本論商品章詳注 学習用(草土文化)
5.名文素読暗唱法 国語力と記憶力をつける(草土文化)

彼のたどった足跡も高専1期生があの時代の社会でどういう位置を占めていたのかを確認するために記しておきたかった。彼の了解を取らずにこんな文章を書くのはどうかなという不安もあるが、著書を出しているということで彼も許してくれるだろう。

こうして振り返ってみると高専1期生の中にはかなりのパーセントで“文学青年(少年?)”が多かった。やはり15歳で将来の進路を決めてしまうというのは無理がある。

また、今回戴いたメールの中にわたしが忘れてしまっていたことがあったので、それも引用させていただく。

高専に入学してどれぐらい経ってからか忘れましたが、授業のはじめにある先生が「高専は“中堅技術者“を育成(?)するところ」とおっしゃいましたが その”中堅技術者“にとても違和感を覚えた記憶があります。

これを読ませていただいてわたしも思いだした。なんだか上から頭を押さえつけられたような理不尽な圧力を感じて不快だったのである。なぜ「中堅」でなく「上級技術者」ではいけないんだ!とその時思った記憶がある。