ブリギッテの健康も心配

2018年2月12日(月)・曇りときどき晴れ/最高気温2度

6時半起床。

昨夜はブリギッテも自分のベッドで寝ることが出来て、熟睡できたようだった。自分の母の面倒を見てあげたいのは心情的に理解できるが彼女自身の健康には気をつけて貰いたい。

介護婦さんが付いているにしても、もうベッド上で義母を動かすのは大変だし、食べるものも口まで持っていってあげなくてはならない。

介護婦さんを手伝うので朝食は義母宅でとると言って出掛けていった。運悪く折った鎖骨は右側で左手はパーキンソンの影響で震えがひどく役に立たないのだ。

現在わが家に泊まっているユリアは午前中にヨハナを連れてブリギッテの買い物を手伝うために出掛けた。Weißwurst を買ってきてくれたのでそれで昼食とする。

その後、わたし、ユリア、ヨハナの3人は1時間ほどの昼寝。わたしは3時頃から森へのウォーキングに出掛けた。まだ道にはしっかりと雪が残っていて歩きづらく、滑って危ないのでいつもより短いコースを1時間(約5Km)歩いて帰宅。

ここでわたしまで風邪をひいたりしたら、いざというときに何も手伝ってあげられなくなってしまう。自分の健康はしっかりと自己管理しなくては。

夜は疲れて帰宅したブリギッテを待って残り物での夕食。仕事帰りのアンナも立ち寄り4人での食事。

不幸が重なった夜

いずれなんらかの形で書かなくてはならないのだが、今日までそれをする気にならなかった。今日になってわたしの気持ちも周囲の状況も少し落ち着いてきたのでここに書いておく。

不幸は先週の木曜日(2月8日)に重なって起きた。ブリギッテの弟がこの日の午前中に仕事机に座っていて急死した。死因はまだわからないけれど「心筋梗塞」だろうという。59歳だった。

弟の娘から電話でそれが知らされたときのブリギッテはショックでまさに半狂乱の状態。彼女の頭の中は自分の母親の死が近いと云うことで一杯だったから、昨日まで元気だった弟の死は藪から棒のことだった。

それを就寝前の義母に知らせたりしたら、彼女の受ける心の打撃もいかばかりかと、明朝知らせることに決めた。そしてその夜23時を過ぎた頃に介護婦さんから義母がベッドから落ちて動けないという知らせ。

急いでわたしも駆けつけたけれど、素人では動かせない状態。救急車を呼んでわが家の近くの病院に搬送して貰った。右側の鎖骨が折れたという。

義母には次の日にブリギッテが弟の急死を知らせたが、思いのほか冷静に受け止めていたそうだ。もしかすると痛み止めの薬が働いて良く理解できていなかったのかもしれない。心の中はともかく表面上はこのニュースによる義母のショックが少ないようなのはありがたかった。

これからいろいろな問題が出て来ると思うけれど、ひとつひとつ片づけていくしかない。元気でいなくては。