2020年4月14日(火)・晴れ
「孤宿の人」を読了した。
文庫本の下巻を読み始めて、ようやくわたしの心の中にはこの小説を読む面白さが芽ばえてきた。昨日の日記にわたしはこう書いた。
しかし上巻を終わってもまだこの本の内容に入り込めないでいる。物語の全貌が見えてこないし、退屈な点もある。下巻に期待。
ほう という名の少女と幽閉されることになった「加賀殿」との間の交流が出てきてから、ようやくこの小説の面白さが増してきた。
この ほう という半ば白痴に近い処女の描写を読んでいて、ロシアの作曲家が書いたオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」(ムソルギスキー作曲)に出てくる白痴の役を思い出していた。ロシア、というか西欧では白痴であるということは神に通じるものであり、真実を見通せるものである、というような考え方だ。この小説の作者である宮部みゆき氏もこれを意識して ほう の性格を描いているのかと思いながら読んでいた。
小説の全てを読了したあとのあと書きに児玉清氏が解説文を載せている。その中で、ああ、やはり!と思う文章があったので引用しておく。引用の引用になってしまうが。
ところで「小説家・宮部みゆきの素顔を知る20の質問。」(「ダ・ヴィンチ」’08年9月号掲載) の中の質問のひとつ、書き上げるまでにもっとも苦労した作品は? に宮部さんは次のように答えていた。”「孤宿の人」です。これは何回も「連載をやめさせて下さい」と言ってしまったんですよ。時代物で架空の藩を作るというあまりに無謀なことをやり始めた私がいけなかった、勉強が足りないので書けません、と。”(原文のまま) あとの文は勝手に省略するが、当時の編集者の粘り強い心の温かさと我慢のお陰で、この作品が漸く完成した、と宮部さんはなんとなんと述懐しているのだ。
「浅見光彦シリーズ」で知られる推理小説家、内田康夫氏がたびたび書いていたが、彼は明確なプロットを考えずに書き始めるそうだ。書いているうちに小説の中の人物達が勝手に動き始めていつの間にかそれが完結してしまう。時には書き手の自分にさえその結末が見通せないときがある。と
「孤宿の人」上巻を読んで少々苛ついているときに、わたしはこのことを思い出していた。この小説の作者・宮部みゆき氏はいざ書き始めてみたけれど作中の人物達をどのように動かしたらよいのか先が見えていなかったのではないか。半ば過ぎからようやく人物達が動き始めたので、下巻が面白くなったのだろう。
どうやらこの小説はなにかの連載だったらしいが、わたしだったらきっと最後まで読み進める忍耐力はなかっただろうと思う。