「銀巴里」の思い出

2021年6月13日(日)・快晴/最高気温23度

8時起床。

文句のつけようのないお天気だった。

日曜日ということでキオスクまでパンを買いに行き、テラスでゆっくりと朝食をとる。

そのあとはどこへも出掛けずに、散歩もせずにiPad Proで週刊誌を拾い読みする。巻頭カラー「幻の東京名所さんぽ」という写真が興味深かった。

その中に東京・銀座にあったシャンソン喫茶「銀巴里」の写真があって、ふと思い出したことがあった。時はわたしが18歳か19歳の頃。わが家には15歳離れた兄が購入した電蓄と云われる音響機器があった。それで姉や兄が買ってきた LP をよく聴いていた。

その頃家にあった LP で記憶に残っているのはアルゼンチンタンゴとシャンソン。シャンソンは日本人歌手が日本語で歌ったもので「仲代圭吾」とか「深緑夏代」とかの歌手の名前はまだ憶えている。その頃わたしは「枯葉」とか「ラ・メール」とかが気に入って口ずさんでいた。

ちょうどザ・ビートルズが初来日した1966年6月29日頃に、わたしは高専のカリキュラムの一環であった工場見学のために上京していた。わたしはザ・ビートルズには全く関心がなかったけれど、テレビもラジオももの凄い騒ぎだったのは記憶にある。

すぐ上の姉がその頃は東京に出て来ていて、シャンソンが好きだったわたしを銀座に連れ出してくれた。そして彼女が連れて行ってくれたのがこのシャンソン喫茶「銀巴里」だったのだ。ちなみに「銀巴里」は開業39年目の平成2年(1990)に閉店したそうだ。

その時のあれこれを懐かしく思いながら午後も静かに過ぎていった。夜はまた「ザ・クラウン」(3-8)を観る。