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2009年03月13日

なぜ、浅見光彦シリーズにのめり込むのか

このところかなり集中的に内田康夫氏の「浅見光彦シリーズ」を読み続けている。とにかく面白い。なんでこんなにのめり込むのだろうと自分が不思議だった。そんなとき、先日読んだ「首の女」殺人事件のあと書き解説で松村嘉雄氏が書いていたことを読んではたと膝を打ってしまった。わたしの疑問をわかりやすく文章にしてくれていたのだ。その中から数カ所を引用しておく。

1.
 最近のような推理小説の出版ラッシュだと、心掛けていても、同一作者の作品を大量に読むことは、時間的物理的に不可能だが、そんな中での読書だから、よほど魅力がなければ読めるものではない。こうした例は、松本清張を含めて、数人しかいない。
【篠の風】:松本清張氏のミステリーはほとんど読んでいる。

2.
 内田ミステリーはトリックを二義的に扱っているが、それは小説作法上のことで、さりげなく実は、神経質に重要視して、創意にすさまじく苦心している。注意深く作品を読めば、その苦心のほどがわかるけれど、事件そのものの鮮やかな着想の陰に隠れているから、トリック派でないとする印象が強い。けれど、二義的にトリックを使っているが、その重視の点で、乱歩の本格もの指向に焦点が合う。
【篠の風】:内田氏の用意したトリックに失望を感じたことはない。

3.
 第二の点は、暴力とか残虐とかポルノまがいの描写を一切避けていることだ。もともと推理小説は、殺人をテーマとするので、暗い面が前面に押し出される。しかし、その点をあくどく強調しても、推理小説本来の本質とは特別に関係はない。ホームズ物語が長く読み続けられている特徴の一端もこれだ。推理小説は健康的な健全文学だ。青少年から熟年まで、男女を問わず層の厚さで、普遍的で幅が広い。
【篠の風】:思わず、これだ!と膝を打った。

4.
 内田氏の資質から看て、乱歩賞などの勲章を持たないことが幸いしているかと思う。肩をいからさずに、自由奔放に実力を発揮していることが好結果をもたらしているのではないか。
【篠の風】:どうせならこのまま無冠でいて欲しい。

5.
 ポーが想像したデュパン探偵以来、神がかりの名探偵が後を絶たず、読者との間のクッションとして、ワトソンが出現した。ワトソンは読者の代替者であり、読者にかわって発言する。これはドイルが発案した賢明なる設定だが、このパターンは長く続けられた。
 内田康夫氏が創造した浅見光彦は、ホームズとワトソンが同居するという、きわめてユニークな探偵だ。ワトソンの役割の部分に読者は親近感を抱くと同時に、その連鎖反応でホームズの部分にも親しみを持つ。浅見光彦のキャラクターが読者に支持を持たせるのもこれだが、この着想はハードボイルド探偵から得たものだろう。けれど個人探偵とはいいながら、兄が警察庁局長で、警察の捜査と同等の立場にあるとするアイデアはきわめて日本的で、欧米にはその例を見ない。
【篠の風】:なるほど!

6.

 これは読者と同等の立場で推理ゲームに参加することができるという利点がある。それ以外にも、事件を追うに急で、謎解きだけの興味追求ではなく、ロマンとして余裕を書き込む利点も見逃すわけにはいかない。
【篠の風】:わたしが惹かれる大きな部分でもある。

  7.
 面白い推理小説はじつに楽しい。イギリス人は老後、アームチェアに座り、パイプをくゆらし、愛犬の頭をなでながら推理小説を読むのが理想だという。この姿勢は正しい。
【篠の風】:パイプはやらないが、これは理想だ。

 外国に住んでいるわたしが、一人の作家をここまで集中して読めるというのは普通だったらとうてい不可能である。しかし東京に住む友人がそれを解決してくれた。彼の本業である仕事がお忙しいのにもかかわらず、せっせと Book Off で内田康夫氏の本を探して購入、送ってくれるという信じられないようなご厚意を発揮してくれているのだ。そのおかげでここにあるデータのほとんど全てを読むことが出来る。本当に嬉しいことだ。