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2011年06月14日

「日本公演」に関する説明会があった

火曜日・晴れ時々曇り / 最高気温23度
8時起床。今日はいつもとはちょっと違ったリズムで時間が過ぎていった。午後は蒸し暑いと感じる陽気で、日本の梅雨を少し思い出した。とは言え、まったく比較にならないほどの軽度な不快感なので、本格的な梅雨を迎えている日本の人たちには叱られそうだ。

先週から予定を組んでいて、今日の朝食は Marienplatz にあるパン屋さんRischart Caféで食べることにしていた。去年の暮れに次女がわたしにプレゼントしてくれたクーポンを消化するためである。先週からブリギッテが休暇を取っていたので、一緒に行ける日を選んで今日にした。

わたしの午前中のプローベが10時45分開始だったので、9時過ぎの Tram で Marienplatz へ。大きなお皿に「ゆで卵」「ハム、チーズが1枚ずつ」「バター」「マーマレード」が乗っていて、パンはゼンメルン、クロワッサン、ともう一種類のが一個ずつ。カプチーノはお代わり自由。というものでかなりのボリュームである。わたしは頑張ってやっとの思いで全てを食べ終えた。

午前中のプローベは「ホフマン物語」と「Saint François d'Assise 」。それが終わってから劇場の舞台で集会があった。劇場経営陣から9月に予定されている日本公演についての説明会である。まず劇場側からは二人の放射能専門家によるプレゼンテーションがあり、9月の東京が放射能の点について如何に安全であるかの説明。東京とミュンヘン、バイロイト、パッサウなどの放射能の数値を並べてバイロイトの空気の方が東京よりも数値が高いのであるから安全であるという論旨だった。

劇場側としては既に 9月の日本公演を決定していて、同行者(オーケストラ、合唱、技術関係者) 達の不安を如何に取り除くかということに専念していた。近来には珍しく、劇場の平土間がほとんど満席になるくらいの出席率の良さで、今日そこに座っていた人たちは日本公演に不安を持っていて出来れば参加したくはないという人がほとんどだった。

劇場側の説明が終わってから質疑応答の時間に移り、午後3時頃までそれは続いたようだ。わたしは2時過ぎに失礼して帰宅。自分の母国ということもあるし劇場が決めてしまったものなら、わたしは従うつもりである。日本政府、東京電力の並べるデータや説明をわたしはまったく信用していないし、今日説明されたドイツ人学者の説明も疑わしいと思っている。となれば、残るは自分で決断するしかない。

正直なことを言うと、わたしは東京での放射能被爆よりも次に来るかも知れない大きな地震の方が恐ろしい。もしも、東京に直下型の地震が襲ったら・・・、ということだ。妙なことに今日の質疑応答では放射能に関することばかりで地震のことは一切話題に上らなかった。そんな場でわたしが地震に関する発言をしてもドイツ人の不安をあおるだけにしかならないから、何も語らずにその場を後にした。ドイツの劇場という組織の中の一人の日本人としてどのように行動するかというのはなかなか複雑で難しいものである。

3時頃に帰宅して2時間ほど休憩しただけで夜の公演へ。その前に義母の住まいに立ち寄り、マウスの制御が効かないという問題を検証する。時間がなかったのでとりあえず現在使っていないわたしのマイティ・マウスをを繋いできた。これはちゃんと動作したので、今まで使っていたマウスが壊れたらしい。

夜は3回目の "Aida" 。8時半頃にはわたしの出番は終わって帰宅の途につくことが出来た。