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2011年10月05日

沖縄で思ったこと

2011年9月9日から9月12にまで沖縄に滞在した。3泊はしたが到着した日は既に夕方だったし、出発は9月12日の早朝だったから、正味2日間(10日、11日)の沖縄観光だった。

その概要は Blog の日記(Mein zweiter Blog : 沖縄観光)に書いてあるが、そこで書ききれなかったことを記しておく。わたしの今回の目的は音大時代の友人と、インターネットを通じての友人に会うこと、そして戦争に関連した何かを感じ取れたらということだった。沖縄は地上戦らしきものがあった日本で唯一の土地なのだから。

9月10日の午前は音大時代の友人に急用が出来てしまったために、わたしひとりで首里城へ足を向けた。この場所も時代は随分遡るのだがそれなりの戦争があったところ。もともとここに存在していた琉球王国を薩摩藩が攻め落としたのだからきっと血なまぐさい残酷なことがあったはずである。しかしわたしの頭の中でそれは遠い遠い昔のことで風化されてしまっていたから観念的にしかとらえることは出来なかった。

午後はその友人が迎えに来てくれて「平和祈念公園」と「ひめゆりの塔」へ連れて行ってくれた。まぶしい午後の光の中、米軍が上陸を敢行したという海岸と崖を見ていると、わたしの目にはそのときの光景が浮かんでくるようだった。攻める方も、攻められる方もどんなに恐ろしかったか。他人を殺さなくては自分が殺されるという状況は人間にとって最もストレスの溜まる瞬間だろう。自分がその時代、その時間、その場所に居なかったのは幸運だったと実感した。

次の日(9月11日)は、音大時代の友人が結婚して住んでいる金武町を案内して貰った。那覇から高速バスで1時間あまりの距離で沖縄本島の中間ぐらいに位置する人口約1万人の町である。金武と書いて地元では "Kin" と発音していた。沖縄の地名は琉球時代の名前に漢字を当てたせいかそのまま読んでもまったく当て嵌まらないものがある。アイヌの地名に漢字を当てた北海道とよく似ている。

その町にはわたしの幼年時代を思い出させる空気があって、公園などで遊んでいる子供たちの顔や表情に、昭和30年代に通じる懐かしいものを感じた。田園風景なども同じである。しばらく案内して貰っているうちに、人口一万人の町にしては公共設備などの建物が立派なことに気がついた。友人に聞いてみると、それらの財源は米軍に土地を貸していることから得られるもので、それがほとんど全てだと言う。頭では理解していたことだが現実に目にしてみるとやはりそれなりの感慨がある。

政権が民主党に移ってから沖縄の基地移転の問題はさまざま角度から取り上げられてきているが、マスコミの報道姿勢は「米軍基地の存在は悪、県外に出て行け」というものが主流。しかし米軍駐留で生活の基盤が出来てしまっているこのような静かな町もあるのだ。もし米軍が去ってしまったら、例えばこの町はどうなるのか。これは容易に想像できる。そのときの沖縄の混乱を中央の政治家、マスコミはしっかり把握しているのか。なんとも難しい問題である。