サヴァリッシュ氏にお別れ

2月22日に亡くなった Wolfgang Sawallisch 氏の Trauerfeier (葬儀) が今日、3月7日の11時から Marienplatz 近くの教会 Heilig-Geist Kirche で執り行われた。

彼の業績については既に色々なところで語り尽くされているから,ここではわたしのきわめて個人的な思い出を書いてみたい。

わたしが声楽を学び始めたときに彼は既に円熟の域に入りかけていた。わたしがドイツに渡ってからは精神的な意味でも彼はもっとも身近な音楽家となり続けた。彼との出会いから彼が Nationaltheater のGMD を辞めるまで、さまざまな思い出が蘇ってくる。今日は教会の中に座りながらそれらのことを思い浮かべていた。

最初の出会いはわたしがまだ東京芸大の学生だった時。NHK ホールのこけら落としでベートーベンの第九交響曲の合唱を歌ったときだった。この人は歌手になっても成功したのじゃないかと思えるバリトンの素晴らしい声で練習を進めてくれた。

時折彼が自らグランドピアノの前に座り練習している部分を弾いて解説してくれたことがあったが、そのとき出てきた響きがいかにもオーケストラという感じでそれまでのピアノ伴奏者の出す音色とはまったく違っていたのは新鮮な驚きだった。

わたしが1977年にドイツに渡り,ミュンヘンの Nationaltheater の研究生となったときにイドメネオの端役を歌う機会を与えられた。一応形式的な Vorsingen を彼の執務室でやったのだが,ドン・オッターヴィオの2番目のアリアを聴いた彼は頷きながら「もう少しゆっくりのテンポで歌った方が良いね」とだけ言ってくれた。

しかし、その舞台稽古があったとき,練習予定表を見逃してすっぽかしたことがあった。なんと,その時間にわたしはのんびりと街で買い物をしていたのだ。(^_^;) 青くなってすぐに謝りにいったのだがニヤニヤ笑いながら「わたしに謝るより、君の代わりに歌ってくれた Kammersänger、Friedrich Lenz 氏にお礼を言いたまえ」と言って怒ることはなかった。

本格的なお付き合いはしかし1985年に Nationaltheater の合唱団となった頃から。そのときには既に GMD だったから劇場内の廊下とかエレベータの中で出会うことも多かった。いつでも気軽に声を掛けてくれて日本のことなどをテーマに短い会話を交わした。ご自分が日本通だということを示したかったのかもしれない。

Sawallisch_2左の写真は1992年の日本公演最後の日で「さまよえるオランダ人」が終わって舞台裏で打ち上げがあったときのもの。わたしは既に着替えて化粧を落としている。

またある公演の時にわたしが楽屋でタイガー・ジャーに入れて持って来た弁当と味噌汁を食べていたら,急に現れてのぞき込まれたことがった。「おお、うまそうな弁当だね」と言われてなぜか恥ずかしかった。(笑)

最後にサヴァリッシュ氏が Intendant をも兼ねていた時期のこと。カルロス・クライバー氏が指揮するときには度々開演前に舞台上で2人が話し合っているのを目にした。何を話していたのかは分からないが,2人の才能ある指揮者から数メートル離れたところに自分が立っているということが妙に嬉しかった。

その他にも尽きない思い出を頭の中に浮かべながら、素晴らしい音楽家であった彼に心の中で「さよなら」を言った。

今年一番の暖かさ

木曜日・晴れ / 最高気温16度

6時半起床。肉体的に疲れていたから、昨夜の睡眠はさすがに深かった。目が覚めたときも気持ちがよい。出来れば昼寝をせずに夜に熟睡できれば良いのだろうけれど,午後に襲ってくる強烈な眠気に逆らうのはなかなか骨である。昼寝は現役時代からの長年の習慣だからなかなかキッパリとは別れられない

いつもの時間に送り出したブリギッテからしばらくして電話が入り、今日,葬儀の行われる教会では花を飾ったりで既に準備が進んでいるから、座るためには出来るだけ早く教会に来たほうが良いと思う,ということだった。そこでわたしは9時過ぎに家を出る。

IMG_2299葬儀は11時開始だったがわたしは早々と9時40分頃に到着。通常の朝のミサをやっている最中だったがそのまま教会の椅子に座っていた。この教会はそれほど大きくないので式が始まる前には満員となり立っている人も多くなってきた。ブリギッテのすすめは正しかった。左の写真はまだ参列者がまばらなときに写したもので、祭壇の左側にサヴァリッシュ氏がバイエルン風衣装を付けた肖像画が立て掛けてあった。
 
IMG_2297式はカトリックの形式的なもので,それだけだったら退屈なものになるところだったが,劇場のオーケストラ、合唱、ケント・ナガノ指揮のレクイエム(モーツァルト)があったおかげで救われた。左の写真も式の始まる30分ほど前,音出しが終わったときに写したもので限られた人数とは言え、このスペースにオーケストラと合唱が乗るのはさすがに辛い。

教会を出たあと久しぶりに近くのクロアチア料理店で昼食。そのあと日本食品店で少し買い物をして帰宅した。今日は16度もあったそうでポカポカとした陽の光を浴びて Tram の中ではついウトウト。帰宅してから着替えて改めてベッドに入ってしっかり昼寝。

今日は夕食を作る気力も湧かないのでブリギッテが帰宅がてらトルコ料理の take-out を買ってきてくれた。