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2006年08月11日

篠の風 Privat

"Wunderlich Privat" のエントリを書いていたときに、わたしの頭の中にはこのテープのことが浮かんでいた。なにを隠そう、わたしにもその昔プライベートで録音したテープが残っているのである。"Wunderlich Privat" にならって「篠の風・プライベート」とでも呼ぼうかしら。(^_^) ただしわたし1人で歌ったものではない。

これはわたしが音楽の道に進むことを決心してそれまで勤めていた会社を辞めるときに、記念にと録音したテープである。  テープの入ったボロボロの箱の表面には「男声四重唱名曲集ーフォー・ハンサムズ」とある。(笑)  まだ、声楽を本格的に勉強していなかった時の、わたしにとってはとても貴重な記録なのだ。簡単にこのテープにまつわるいきさつを紹介しておく。

高専の工業化学科を卒業してある会社に入り、勤め先は工場と研究所が同じ敷地内にある和歌山市ということになった。その会社にはすでに混声の合唱部があって、歌うことの好きなわたしもお願いして入れていただいた。その合唱部はかの有名な早稲田大学グリークラブで歌っていた人がリーダーだった。彼の誘いで混声合唱部の他に、4人の男声カルテットを組んだのである。 毎週1回ぐらいは集まって練習しただろうか。休日などには、メンバーの1人が持っていた小さな車で、4人でドライブをしたり、和歌浦の夕日を見に行ったりしたものだった。その車の中ではすぐに誰かが歌い出し、それに乗って四重唱が始まったりしたのだった。あの頃は歌うことそのものが楽しかった。

そうするうちにわたしはどうしても歌の道に進みたくなり、熟慮のすえに(若気の至り?)決心することになる。わたしが会社を辞めるときに、まさか「歌をやりたいから会社を止めます」とは言えなかった。メンバーの3人もまさかわたしが歌の道を志しているとは知らなかったはずである。 その時のわたしの心の中には、はち切れそうな未来への希望とは裏腹に、わたしの就職のためにいろいろと骨を折ってくださった高専のS教授に対して、そしてわたしの両親に対しても、理解してもらえそうもない理由で退社することを申し訳ないと思う気持ちが、暗く重くのしかかっていた。それをはね除けたのはやはり若さ故の無分別であったろうと、今になって思う。

退社する日が近づくとカルテットのリーダーが「記念にいままで練習した曲を録音しようじゃないか」ということになった。あとの三人もそれには大賛成で、カセットデッキなどが存在しなかったその頃のこと、でかくて重いオープンリールのデッキにマイクを付けて録音することになった。3日ほど掛かってそのテープは出来上がった。

わたしが音楽大学に入ってからは、ずっとそのテープのことを思い出すことはなかった。わたしにとっては同じ音楽とは言っても、自分がそのころひたむきに目指していたイタリア:ドイツオペラの世界とはまったく畑違いに思えていたからである。

しかし、今改めて聴き直してみるとこれはとても興味深い。声楽の訓練をまったく受けていなかったときのわたし自身の産まれたままの自然そのものの声を聴くとき、確かに声楽上の技巧は向上したのだろうけれど、失ってしまった貴重なものもあることを確かに感じるのである。次のエントリからそれらの曲を厳選して(恥ずかしくてお聴かせできないものもあるということ)紹介します。