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2006年10月02日

ユリアの決断

次女のユリアは今年の学期からバイロイト大学に移ることになった。 去年から一年間、彼女はオーストリアのインスブルックで医学を学んでいたのだが、将来、医者になるかどうか、心の中では揺れ動いていたらしい。

ユリアが昨年アビトゥーア(Abitur)を終了した時点での希望大学と学科はバイロイト大学の Gesundheitsökonomie (保健衛生経済学とでも訳すのかしら)というものだった。その時には残念ながら彼女のアビトゥーア(Abitur)の点数が足りなくてそこには受け入れてもらえず(日本で言う浪人です)たまたまチャンスがあったインスブルック大学の医学部に登録したという経過がある。

彼女の名誉のために書いておくが、インスブルックにおける彼女のこの一年間の結果を見ると良くやったといえる成績だった。しかし、彼女の頭の片隅には常にバイロイト大学で自分が本来希望した学科を学びたいという事があった。揺れ動く心のまま、今回再び願書を出し、試験を受けた。その結果、今回は受理されたのである。さあ、そこで彼女の進路選びの苦悩が始まった。このまま、インスブルック大学で医学の勉強を続けるか、それともここで Gesundheitsökonomie に転向するかである。考えてみれば贅沢な悩みである。そして彼女はバイロイトを選んだ。

その理由は、医者になるまでには最低6年間学ばなくてはならないことと、このところドイツでは社会問題になっている医者の待遇の劣悪さ(最近までキツイ労働と責任ある仕事の割には労働環境と報酬が付随していないということでドイツ中で医者の大規模なストライキが続いた)である。男のわたしには、彼女の若さでそんなことを考えるものなのかと不思議なのだが(女性の持つDNAのせい?)、彼女は将来職業に就いても子供と家族は欲しいのだそうだ。医者になった場合、それを可能にするには大変な犠牲を払わなくてはならないことは、妻の親類や知人の女医さんたちを見て彼女は知っている。

それに、これは枝葉の問題かもしれないが、ドイツ国籍を持つ学生にとってはインスブルック大学の空気はかなり排他的だったようでもある。どうしても隣接した国の関係というのはギクシャクとしたものになりがちだが、同じ言語を持つ両国同士でありながら、いや、だからこそ、その例外からは逃れられない。オーストリア人にとっては、ドイツから大量に学生が入ってきて自国の学生が閉め出されるという被害者意識があるし、ドイツ学生にとってはオーストリアの学生は自由にドイツの大学に学んでいるではないか、お互い様、という言い分がある。これはもうどちらが良いか、悪いかの価値判断では片づけられない問題である。学生間だけではなく特定の教授の中にも講義中に「ドイツ人学生は………」と差別をするような人もいたりしたのが引っ掛かっていたらしい。

まあ、親としては彼女があとになって悔いの残らない決断をしたのなら、それで良いと思っている。というか、彼女の決断を受け入れてやることしか出来ないと言った方が正しい。そういうわけで、バタバタと引っ越しの準備やらバイロイトでの部屋捜しなどで大変だったようだが、なんとか自力でやり遂げて、今年からバイロイト大学の学生としての再出発である。頑張れ!