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2007年03月22日

韃靼疾風録 上・下 / 司馬遼太郎著(中公文庫)ー 追記あり

image image 好きな作家の1人なので、この本をy.Suzukiさんのお店の本棚に見つけたときには嬉しくてすぐに借りてしまった。しばらく、司馬遼太郎の本は読んでいなかったと思う。第十五回大佛次郎賞受賞作。

物語は韃靼(満州ー現代中国では東北地方と呼ばれている)から漂流してきた貴族の女性を、九州は平戸の武士、桂庄助が送っていくことから展開していく。時は日本の歴史でいうと徳川時代の初期。そのころ韃靼といった少数民族が中国の明に取って代わり、清朝を打ち立てていく行程を描いている。それ自体は壮大な物語には違いない。

司馬遼太郎氏の書いた史実に誇張がないとして、清という国の成立過程が、これほどまでにあっけないものであったというのは始めて知った。あれほど広大で人口の多い中国が舞台となると、私の中では茫洋とした世界が拡がってしまって取り止めがない。

司馬遼太郎氏はそれを彼一流の調子でわたしの前に展開していってくれるのだが、この本ではこれまでに馴染んだ魅力が少し薄れているように感じた。わたしを引きつけて離さないという力が感じられなかった。したがって、途中に何度か時間をおくことになってしまって、読み終わるまでけっこう長い時間を要した。別に文体が変わったとかいうのではないが、全体の調子がそう感じられるのである。これが枯れてきたということなのかなと思いながら読み進んだ。
(2007年3月10日読了)

(追記)
何か書き忘れたような気がしていたが、ベッドの中に入ってからそれに気がついた。この本を読んでいる間中、桂庄助の置かれた境遇とわたしのそれとが、時代は数百年も隔たっていながらどこか共通性を感じていたことだった。

1.
まず、庄助が渡ったところが外国であったこと。桂庄助にとって韃靼の国(満州)というのは、30年前のわたしにとっての欧州と同じくらいの距離感を持って感じられたのではないだろうか。
2.
結果的には、その地で外国人であった女性を妻に迎えることになるのもどこか似ている。
3.
桂庄助は韃靼軍に加わり、あれほど不可能と思われた万里の長城を越えることになるのだが、ベルリンの壁が崩壊したときもこれも似ている。その2年ほど前にドイツ人の同僚と、わたしたちの世代にこの壁が無くなることはないだろう、と話していたばかりだったのである。あれほどあっけなく壁が無くなるとは。
4.
最後に、庄助自身ではなく、庄助の妻となったアビア(響という意味らしい)の方が日本に帰りたがったこと。これもわれわれが結婚してから数年の間、妻が望み続けたことと同じだった。

この小説では庄助とアビア、そしてその間に生まれた息子は後年日本に帰ってそこで通事(通訳)としての生涯を終えるのだが、さてわたしの場合は? と、そんなことを考えながら読み終わったのだった。