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2007年04月27日

永遠の別れ

昨日は、わたしにとって特別な思い入れのあるマック、カラークラシックとの永遠の別れがあった。

Macintosh Color Classic マッキントッシュ・カラー・クラシック<カラクラ>はわたしにとっての最初のコンピュータ、最初のマックである。手元に適当な写真がないのでJollibee's Web Pageさんのサイトから紹介させていただく。ありがとうございました。実を言うとマックを購入したのはほんとうに偶然のことだった。1994年頃、40歳も半ばを過ぎていて、そろそろこの辺でコンピュータに触っておかないと列車に乗り遅れるかも、という焦りを覚えたのがきっかけだった。

その時のわたしはウィンドウズとかマックとかの存在も知らずにただ「コンピュータを始めよう」という意識だけだった。で、その頃家の近所に住んでいた FUJITSU 勤務の日本人の方にお伺いを立てたら、彼が同じ会社に勤める技術者の方を紹介してくれた。FUJITSU というのはその頃も今も SIEMENS と共同で PC を販売している会社であるが、そこの駐在技術者であった Y さんはなんとマックの熱いユーザだったのである。

一度遊びにいらっしゃいということで、彼の家に行ったら壁面はマックとキーボード、プリンタ、等でビッシリだったのに驚いた。DTM を趣味でやる方だったのだ。「これからコンピュータを始めるならマックにしなさい!」という彼の強烈な勧めで、その当時一番安かったカラークラシックを購入したのだった。その時彼が使っていたマックをまだ覚えているけれど、SE30 とクワドラ700 だった。(^_^) マックを立ち上げて、いろいろ示してくれるのだが、わたしには彼の驚くほどの速さのブラインドタッチがまぶしかった。

カラークラシック購入して、をいじり始めてしばらくして、ニフティのパソコン通信という存在を知ることになる。ニフティに入会して音楽とマックのフォーラムに入り、それ以来、昨年あたりまでずっと楽しませていただいた。マックのフォーラムというのもいくつかあって、それを読んでいたらわたしの使っていたカラークラシックのファンが多いのには驚いた。もう熱狂的なまでの愛情を持って、その改造に取り組んでいる人達がいたのだが、とうとう最強のカラクラを創る会という同好会まで出来てしまっていた。 もちろんわたしも参加して、いろいろと教えていただいた。

わたしがたまたま日本に帰国できたときにはオフ会まで開いていただいて、実に熱い時間を過ごすことが出来た。その盛り上がりの頂点は、「最強のカラークラシックを創る会」(カラクラ会)の有力会員であった Yoshimi さんがヨーロッパ旅行をすることになって、彼がわざわざわが家に滞在してくれ、その当時の最強カラクラであった Takky Model に改造してくれたのである。Takky とはマザーボードをオリジナルから LC630/588 に交換したモデルである。その改造に必要な部品などはすべて日本から運んできていただいた。その当時の会員の数人とはいまだに暖かいお付き合いを続けている。(^_^)

image そのカラクラ会の有志が作り上げて出来た本が左のものである。名付けて「Doping MAC」 。出版後すぐに送っていただいて、むさぼるように読んだ。ああ、これならわたしにも出来そうかなと思う記事も多かったが、とにかく部品がない。この時はミュンヘンに住んでいることの悲しさを味わった。(汗)

快調に使っていた Takky Model だったが、ある日急に電源が入らなくなってしまった。おそらくは電源周りの故障だと思うのだが、わたしにはそれを直すだけの技術もなかったし、秋葉原などというものがないミュンヘンの地では部品を捜すのでさえ困難なため、遂に使用を諦めた。灯が入らなくなって、コンピュータとしては用をなさなくてもその愛着のある可愛い姿を眺めているのが楽しくて、居間の片隅に鎮座してオブジェと化していた。しかし時間がたつほどに家人からの苦情が出始める。広い居間ではないのでどうしてもお掃除をするときなどに目障りになるらしい。それでわたしも還暦を迎えた時だし(関係はない?)ある時期わたしの情熱を燃やしてくれたカラクラにも別れを告げることにした。「老兵は消え去るのみ」である。正直言ってちょっと寂しい。