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2007年11月09日

村上ラヂオ / 村上春樹著(マガジンハウス)

image この本は今年の夏、姉の家に逗留していたとき、トイレの中に作られた小さな本棚に並んでいたもの。その時も機会あるごとに(トイレを使う度に)、パラパラと読んでいて面白く、しかし最後まで読み切れなかった。それでドイツに戻るとき姉にねだって貰ってきたものである。一つが1200字ほどからなる50編のエッセイ集。巻末を見ると2000年から2001年にかけて雑誌 anan に連載したものだという。

この本を眺めているとなんとなく郷愁を感じさせるのは、大橋歩氏のイラストによるところが大きい。絵を見ていると、VAN とか JUN とかが流行った頃の「平凡パンチ」という雑誌を、そして当時の空気感が蘇ってくるのである。

また、偶然ということは本当に自分が思っている以上に良くあることで、この本「村上ラヂオ」を読み終わった日 (11月5日)、ブリギッテがその日の SüddeutscheZeitung (南ドイツ新聞) に載った記事を教えてくれた。それがなんと作家・村上春樹に関するかなり長文の紹介記事だった。彼が作家になる前には数年間ジャズ喫茶のマスターをしていたことから始まって彼の文学の底にはいつだってジャズが(ジャズを強調していたように思う)流れているというような内容だった。その記事には村上春樹が敬愛するウェイン・ショーター(Wayne Shorter)の写真まで張り付けてあった。もしかするとこういう出会いというのは偶然ではなくて必然なのかもしれないと思ったりもする。

エッセイそのものは本当に軽い(良い意味で言っている)。わたしと年代的に重なっている部分が多いからか、「ウン、ウン、そうなんだよね」と頷いている編が多くあった。そしてプロの作家って凄いなぁ、と思うのは例えば「柿ピー問題の根は深い」というどうでも良いようなテーマで読む人を引きつける1200字の文章を書けてしまうということ。

いつだったか村上春樹に関してコメントを付けて貰った中に、「村上春樹がブームになった頃の文学部大学生にレポートを書かせると村上春樹の文体そっくりのものがとても多かった」というのがあった。確かに真似のしやすそうな文体に思えるけれど、以後彼の文体に似た小説を読んだことがないからこれはこれで難しいのだろう。

最後に嬉しい文章を引用しておく。「リンゴの気持」という編の最後の部分。

だからというのでもないけど、ずっとマッキントッシュのコンピュータを愛用しています。ちなみにリンゴのマッキントッシュは McIntosh で、コンピュータ「アップル」は Macintosh 、商標の関係でちょっと綴りが違う。朝起きて、台所から林檎をひとつ持って書斎に行き、リンゴマークの「アップル」のスイッチをびょーんと押して、夜明けの光の中で画面の準備が整うのを待つ。そのあいだ赤くて酸っぱいりんごをかじる。そしてさぁ、今日も頑張って小説を書こうと思う。長い間そういう生活を続けていた。決してウィンドウズを憎んでいるわけではないが、今のところマックから乗り換えるつもりはない。だってウィンドウズにはりんごのマークがついてないんだもの。
村上春樹さんも新しい Mac OS 10.5 (Leopard) をインストールしただろうか、なんて考えていると楽しい。

2007年11月5日読了