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2009年10月05日

中山悌一先生のこと

中山悌一先生が亡くなったということを先週知った。ぴかままさんと同じく直接教えを受けたことはないがいちおう孫弟子の端くれではある。

中山悌一先生の歌唱は録音では聴いたことがあるが生の舞台に接したことはなかった。ただ「怖い先生」というイメージしかわたしの中には残っていない。(-_-;)

これまでにもブログの中で何度か書いているが、わたしは高専で化学を勉強し、卒業してある会社に勤めてからそこを辞めて歌の道に進んだ。私立の音楽大学に入る資金など無かったから、授業料の安い東京芸術大学に入るしか道はなかった。

入学試験の科目の中には「初見試唱」というのがあった。ドイツの教則本 「コールユーブンゲン」(Chorübungen) の中の一つをその場で指定されて歌うというものである。20歳を過ぎてから本格的に音楽の勉強を始めたわたしのもっとも不得意でいつも不安感を持っていたのは、ピアノ演奏と、この「初見試唱」だった。

初めて挑戦した年、思いがけなく1次試験は合格して2次試験でこの「初見試唱」を迎えた。どうせ駄目だろうが様子を見てみよう、と軽い気持ちで受けた一回目の挑戦で1次試験を通過するとは考えていなかったから、3次試験まである受験の準備(学科やソルフェージュ)はもちろんほとんど出来ていない。

で、試験室に入ったらなんと、目の前に並んだ数人の試験官の中に、写真で見知っていた中山悌一先生がいたのだ。そんな偉い先生を目の前にしただけで、もうドキドキだったのに、そのご本人にギョロリとした眼で「では、○○番」と告げられたときには膝はガクガク、目はうつろ。(^_^;)

その曲の番号は覚えていないが「ソ、ソラソファ、ミソファレ、ドミレシソ〜」というメロディだったのは確かだ。別に難しい曲ではなかった。しかし頭の中は真っ白、目の前は真っ暗、という状態。数分後に中山悌一先生の 「もう、よろしい」という声が聞こえた。わたしの第一回目の挑戦が終わりを告げた瞬間だった。

生年が1920年だということだから、あのときはまだ50歳にもなっていなかったのだ。もっとお年を召されているという印象があったし、威圧感というか貫禄があった記憶がある。享年89歳というのはちょっと意外だった。