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2011年08月18日

一夜のサッカー観戦から・・・

昨夜のサッカー試合をみて感じたことを記録しておきたい。プロサッカーを生で見たのは数年前に Olympiazentrum で行われた FC Bayern München 対 Bielefeld の試合以来2度目なので「分かりきったことを、何言ってんだか」と思われるかも知れないのを承知でアップしておく。(^_^;)

1.サポーター の重要性

昨日はじつに楽しい2時間あまりだった。天候は暑くなく寒くなく雨も降らずに、 Allianz Arenaの天井から見える青空が刻々と夜の色を増していき、光線に映える芝生のクッキリとした緑との対比が絶妙だった。

試合が始まる前から FC Bayern München ゴールの後ろに陣取った赤一色のサポーター達は凄い盛り上がり。これが時々うるさいと感じることも正直な感想だった。しかし、ゲーム中に1度だけほんの1秒か2秒の間そのサポーターの歓声と楽器の音がパタリと途絶えたことがあった。そのときに芝生の上では試合が続行していたのだが、急に世界が違ったかのように色あせて見えたのだ。これにはわたし自身も驚いた。「ヘェ〜、サポーターが居ないと試合はこんなに様相を変えてしまうのだ」ということを感じた瞬間だった。

もうひとつ納得したのはホーム・ゲームの持つ圧倒的なアドバンテージ。昨夕の Allianz Arenaは FC Bayern München 一色で FC Zürich のサポーターは最上階の一角に陣取っていただけ。それでも精一杯の声援を送っていて音響だけはかなりのものだったのだが。

観ていると FC Bayern München の各選手達、特にサイドを受け持っているプレーヤーたちはけっこうサポーター席の方に視線を送っていることが多くて、両者の無言の会話が感じられた。これだけのマスの熱い応援を受けたらたいていの人はアドレナリンが激しく出るだろう。ましてやプロのスポーツ選手である。

その反対に後半戦になって FC Bayern München サポータの目の前でプレーしなくてはならなかった FC Zürich のゴールキーパーは可哀想だった。取るに足らないちっちゃなミスでもヤジと口笛で厳しく責められていた。ありゃ、参るだろうなぁ。

2. Robben を見ていて感じたこと

昨夕の座席は後半戦になるとスター選手の Robben のプレーが目の当たりに見られた場所だった。この選手が自分をアピールする気迫の凄いこと!試合の最中に同僚に両手を挙げて 「俺にボールを回せ!」と要求し続ける。わたしの座った位置から見ると彼のプレーしていた周りは敵陣の壁が薄いときが多くて彼の意志が素直に納得できるのだった。

しかし、チームメート達は彼のところになかなかボールを送ってくれない。彼はイライラとしてもの凄く不満そう。それと、2度ほど彼がゴールの真ん前の好位置をキープしていたときに他の選手が彼にボールを回さず自分でシュートして失敗したときには、その同僚選手に激しく 「俺がここにいるのになんで俺にパスしないんだ!」という仕草で抗議していた。

また、やっとの事で彼にボールがパスされたときに、あっと言う間に相手選手に取り囲まれ、押し出されるように中央ラインまでドリブルで下がったとき、中央近くの観客席から「ブー」という声が起こった。キッとした表情で観客席を睨む彼。

その彼が後半戦に素晴らしい軌道のロングシュートを決めたとき、チームメートと抱き合って喜ぶ前に彼が真っ先に取った行動は、数分前に「ブー」を与えた観客席の前に走り寄って 「どうだ〜!俺の力量を見たか!」という歯をむき出した表情とボディアクションだった。いやはや、プロの迫力というのはすさまじいものである。わたしがいまだに憶えているのは後楽園球場でその頃ホームランを量産していた巨人軍・王選手のギラギラした表情である。それと同じものを昨夜は Robben に見た。

3.プロスポーツから見た日本人の性格

昨夜は目の前に Robben というエネルギーの噴出を見ていて考えさせられたのだが、ヨーロッパ人には日本人が良しとしている「周囲の空気を読む」という感覚はほとんど無いということである。サッカーに限っていえば最近の若い日本人がブンデスリーガーで活躍している事が証明しているように、技術的な差は殆ど無いのだと思う。日本人に無いのは昨夕の Robben が示したなりふり構わない「自己中心的思考・行動」だ。われわれの世代 (1947年生まれ)は「和をもって尊しとなす」的な教育を受けて周りの人たちのことを考えない行為は悪と教育されていた。そんな人間ではサッカーのゴール寸前のような決定的で瞬時の行動を要求される場面で躊躇が生まれてしまう。現在の若い日本人サッカー選手達は多分そうではないのだろう。

しかし、なぜ「自己中心的思考・行動」があるにかかわらずチームとしての形が保たれているのか。それは物事を「根に持たない」という暗黙のルールが存在しているようにわたしには思えるのだ。わたし自身の職場内での体験でも、集会や練習時には「そこまで言うか?」というような険悪な空気になるときがまま有る。わたしがその立場だったら少なくとも半年や一年は顔も見たくないし口もききたくないと思うのだが、その当事者を見ていると次の日にはケロッとして当たり前に会話している。これだ!「俺も自分の考えてることをストレートに伝えるが、相手も率直な感想があって当然だ」ということなのだろう。これは時に羨ましい。物事を前に進めるときにはこのぶつかり合いのエネルギーが必要とされるのだ。決定的な場面において「周りの空気を読む」という行動は負のパターンに陥ることが多いようだ。

サッカーの観戦から妙なところまで思考が飛んで行ってしまった。30年以上ドイツに住んでいても自分が日本人であるという意識は片時も消えることはない。良い悪いの問題ではなく、これはどうしようもないことだ。