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2011年09月07日

津波の被災地を歩き、夜は友と歓談

水曜日・晴れ / 最高気温29度
6時半起床。ベッドに入ったのが午前2時半頃で、眼が覚めたのが6時半。睡眠時間は圧倒的に少ない。そのせいか一日中眠気を戦っていた。今夜は日立市のホテル泊まり。久しぶりに高専時代の親友と会って食事を楽しむ。

6時半に目覚めてから眠れそうもないので起き上がって大浴場を満喫。兄姉達とは9時半に朝食で会おうと約束していたのだが、お腹が空いてわたしは一人で9時頃から始めてしまった。(^_^;) 朝食は和食と洋食のバイキング。どちらを選んでも両方食べても良い。わたしはもちろんこの時とばかりに和食バイキング。これはとてもおいしかった。ただひとつの欠点はご飯のお代わりが進むこと。わたしは4杯も食べてしまった。

10時半頃にチェックアウトして、それから兄と姉の車に便乗して小名浜、江名、豊間、久ノ浜、四ツ倉の海岸沿いを走り被災地の現状を観察する。その状況は地域、高低によってバラツキがあり、酷いところを見たときには胸が痛んだ。寝不足の疲れとショッキングな現場を目の当たりにしたことで頭の芯がボゥッとしてきた。兄の家に立ち寄り、そこで一休みしながらまたさまざまな話題に花が咲く。

姉にいわき駅まで送ってもらいそこから15時08分発の列車で日立市へ。約45分で着いたのだがその間は眠気との戦いだった。ここで眠ったら確実に乗り過ごしていただろう。

高専時代の親友の一人が日立製作所に勤務していて、彼の終業を待って彼の行きつけの店へと繰り出す。最初に入った店の作りは日本の居酒屋風なのだが料理の方はイタリア風。ちょっと面白いお店で味の方はかなりの水準と見た。イタリアの味をうまく日本人好みにアレンジしている。

その店を出てから彼が次に案内してくれた店は小さな空間でカラオケが置いてある。ここはわが親友の「巣」とでも言える感じの店で、カウンターの向こうのママさんもそのとき既に座っていたお客4人もとても感じが良かった。カラオケと知ってわたしは内心「困ったな」と思ったのだが、今夜の客たちのうたう歌がなんと「唱歌」を主として選択でほのぼのとした雰囲気。親友がわたしをここに連れてきた理由が分かった。

ママさんという女性が彼女の娘を苦労して芸大のピアノ科に入学させたという経歴の持ち主だったのも親友が誘った理由だったのだろう。最初のうちは頑として歌うのを拒否していたわたしも、唱歌の懐かしさに釣られて最後の方には参加していた。23時半頃に店を出てわが親友はタクシー代行を使ってわたしをホテルまで送り届けてくれた。「健康で再会を」と誓い合う。